危機!アレルギーが!

怪我でもないのに息子が馬鹿に早く帰ってきた。
気分でも悪いのか?

でもなく\(◎o◎)/!
目が半端なく赤い。どーした砂粒の塊でも目に入ったか?

なんでも野球部の練習中目があまりにも酷い充血をしていたので2年3年のお兄さん部員が今日は練習いいから帰って医者に行け。
と、指示受けた。

では、まだ眼科やってる時間だから診察受けて早いとこ治療してしまおう。

大病院も混んでいたが、眼科も混んでいる。

診察の結果これまたシンプル。
ある種のアレルギーがあるかと思われるのでコンタクトレンズやめれば治る。
メガネかけてたって野球はプレー出来る。

それはそうだろうが、、。
スポーツメガネみたいなの買うか?

こういうの。

この手の事象がまたわたしは弱い。
わたしはこの年にして眼鏡、コンタクトレンズには縁がなく生きている。
20代の頃近眼が進んで一時的に眼鏡使ってたことあったが、酒飲まなくなったら視力回復してしまった。

なのでこのようにしたら良かろうのアドバイスが出来ない。

とにかくしばらくはコンタクトレンズやめて眼鏡でプレーするしかない。
だが、なんとかしたい!

なんとかしたくてもねー。生涯コンタクトレンズなしで過ごすであろうわたしは考え及ばない。

このような今時の男子に流行ってるらしいメガネを10代の頃より使っている。
あんまりスポーツタイプには見えない。

たしか目薬ももらったとは思うが、眼科医のいうとおりコンタクトレンズ使わなくなったら目の充血は収まった。

医者は慣れの問題だ。とは言っていたそうだがやはり眼鏡で野球をする場合視野が狭くなるのではなかろうか?

だが、10年前のいまどきながら情報化社会。
息子はちゃんとまた、解決法を見出しました。

それが古式ゆかしいちっこい丸レンズを目玉に装着して外したものを洗って小さな筒状のものに入れて保管するあのレンズではないコンタクト。
使い捨てレンズだと(゚д゚lll)

息子の論理はアレルギー物質は洗浄したって同じレンズ何度も使ってれば付着するに決まってる。
だからその都度レンズ捨てちまえば問題は解決する。

あのあの、世の中そのようなものが存在するのか?
て、コマーシャルでやってるじゃない?!

そう言われましたが、わたしは多分一生コンタクトレンズ使わないのでそのようなコマーシャルは常時脳がスルーしてたわよ。

これがその使い捨てコンタクトレンズ、今でも息子は使っている。
確かに清潔だといえば清潔だ。

今は処方箋なしでも売ってくれるらしい。

しかしまぁ、結構高価だわい。

でもこれ使って以来、目の充血に悩まされることはなくなった。

犬が放し飼いにされていた頃

わたしの両親が残した犬が来てから約10日くらい。
犬は大人しくなり、夜中に騒ぐこともなくなった。

所詮犬よのー。
こんなもんでわたしの親の家のことは忘れたのであろう。

しかしわたしの実家のことは忘れてくれても、忘れないのはわたしの親から受けた躾。正確にはお行儀を教えなかったこと。

わたしの両親はまだ東京の23区とて、ヘーキで犬の放し飼いしていた時代の頭で犬を飼い始めたことをわたしは確信。

親たちよ。今は犬は自由に野山を駆け巡らせときゃいい。という時代ではない。

今の若い方たちにはお分かり頂けないでしょうが、東京都23区もとから山はないにしてもうちの親が年寄りになる前は野もあれば焼け跡もあったのですよ。

犬の行動だって時代とともに進化しなければならない。

今時の犬は飼い主とお行儀よく足並み揃えて歩き、来いと言えば来て、おとなしくしてろと言えば命令解除まで逼塞しているものなのだ。

だが、困ったことにわたしだって犬訓練法なんて知らない。

どーしましょ(+o+)

↑残念ながら画像が準備中、わたしがこの時以前に読んだ素敵な犬の訓練士が出てくるお話。
もちろん主人公です。

世の中には犬の訓練士という職業が存在するのだ!
これはアメリカの話だが、日本にだって犬の訓練してくれる人はいるに違いない。

この犬はもう4歳、子犬訓練するようなワケには行かないかもしれないが、とにかくプロに任せよう。

わたしは犬の訓練士、及び犬の学校を探すことにした。

そして雑種の駄犬を、雑種の利口犬に蘇らせてもらうのだ。

わたしはこのようなリード使ってた。
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<p>更に時代は進化してDVDで犬の飼い方教えてくれている。</p>
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やっぱり無理、塾を替わる

一年生の夏の大会、いつまでも帰ってこない息子。
この日は中学生の頃から通ってる塾へと行く日だった。

すみません。帰ってこないんですよ。
と、言って休ませてもらったことよく覚えております。

だんだん、塾通い負担というか行きたくても行けない状態になってきた。

どうする?
うちは高校も近ければ塾も近い。
遥か藤沢の辺から通ってくる学区外組みだっているのだからなんとかなるだろう。

考えが甘かったみたいだ。
やはり硬式野球部は硬派だったんだ。
じゃ、塾を辞めるか部を辞めるか?

塾の先生とも相談した結果、塾をやめることにしました。

決まった曜日に、決まった時間先生が待っている従来の塾通いは早くも一年の夏休み前に煮詰まった。

塾に行かなくてければ大学に行けないわけではないだろうが、、。

県立高校大学がセットでついていない。

大学受験しなきゃならないんだよ!
ここは進学校だ。

さらに強豪私立に比べりゃだいぶんにヌルく甘い。とはいえ、結構な過酷な部活。

夕御飯食べながら寝てしまうことも幾度か、日々予習復習欠かさない暮らししてりゃ塾に予算投入しなくともなんとかなっても、あれじゃあどうにもならないんじゃないか?

このあたりはそもそも偏差値とは縁のない世界で生息してきてしまったわたしの弱いとこ。

中学の時の塾だって息子が自分で決めてきた。

心配しなくても運動部との両立が?!可能な塾というもの息子はしっかり見つけてきました。

自宅学習ではなくて(それも良い。自宅では寝ていることのほうが多い。)通いだが、衛生予備校というシロモノ。

通える時間に(時間制限はあるだろうが。)行けばよくて、先生が直接教えるのではなくてインターネット様の授業をする。
そんなのアリなのか?

それで大丈夫なのか?

結果からいうと例によって受験マニアの我が息子、現役合格した大学あったにも関わらず一浪したのですが、ちゃんと運動部に所属しながらも東大現役合格した子というのおりました。

そもそも通わなくてもいい。という学習塾発見いたしました☆.。.*・゚☆サクラサク☆゚・*.。.☆

初めての夏の大会

2003年夏、初めての夏の大会。

わたし、出かけていこうかと思ったが記憶呼び覚ましてみたら、1年生の時の大会はわたしは行ってない。
行ったのは2年生になってからだった。

息子の今日は勝つからの言葉信じて、では次の試合は観に行こうか、、。
と、構えていた。(思い出した。)

ベンチには入らないとはいえ、朝もらったユニフォームを携えて張り切って出かけて行った。
夏が始まった((o(´∀`)o))ワクワク

この年の夏、記憶が定かでないのとうちには高校野球の神奈川県大会の冊子が2004年からしかないのだが、、。

わたしがメゲたのは多分小田原球場だったから、、。(だと思う。)
後に、小田原球場行ったことがあるのだけれど、うちからは遠い。

あまりにも遠い。
はっきり言って所沢より遠い。

1時間に1本の御殿場線に乗ってゆくのだ。
神奈川県だが静岡県に近い。

どーも延長戦で負けたらしく、いっつまでたっても息子は帰って来ない。
何事か起きたか?

連絡は入って久里浜高校に負けたって。

はぁー、3年生夏終わったか。

残念、夏の大会がどんなものか見ておきたかったのにな。

だが、その時点ではうちの息子が3年生になるのなんて100年も後の未来のように感じていたわたし。
再来年には3年になってしまってあまりにも短い輝きなんだけど。

1年時の夏の大会はわたしが目を離している隙に終わり。
遠くのスタジアムからいつまでも帰ってこない息子を待って終わった\(^^)/

ママ友

ふつうママ友って子供はまだ小さい頃、子供通じて出来たお友達のことを指すのではないか?
と、思う。

そんなお友達はわたしにもいる。

だがわたしの場合、不思議なことに子供が高校生の頃のママ友というものが存在する。
本当に息子の高校のお友達(チームメイト)のママたち。

横浜緑ヶ丘高校野球部、父母会があるといっても毎週のように会合があって、仕事を割り振られる。
と、いうようなことは1年2年の間は全くといっていいほどなかった。

では、何故ママ友が早々登場かというと、当時はわたしは興業的にも経営的にも最もヒマな時代で、更に言えばわたしの親の残した駄犬を引き取っていたのでなんとなくプライベートのほうが手一杯という感じだった。

なので、毎週練習試合のある土曜日曜、祭日は息子の試合見物に出かけた。

そう、わたし入部当初はホントかよ!モードだったのが、息子の追っかけに命賭けるようにハマっていったのです。
時として千里の道も遠しとせずに出かけてゆきましたよ。

わたしはだいたい根がとても自己中で基本自分のこと以外には興味持たないのですが、これは嵌りました。

そして子供の試合見物来ない親は来ないが、くる親は来る。
わたしは来る母親、毎度見物に行けば必ずや来るお母さんと会うことになる。

毎週のように会っていればお友達になってゆく。

更に言えばどうもパパ友というのも高校でアリならしい。

わたしにママ友が出来つつある頃、わたしは気づかなかったのですが、部活は異様な熱気に包まれ始めていたという。

そう、わたしが高校球児の母がイタにつきつつある頃、夏の大会が近づいていた。
いよいよ、息子は夏の大会デビュー(ベンチに入れたわけではありません。)

そしてわたしはいそいそと夏の大会に出かけてゆきました。

孤児となった犬

わたしの両親亡き後、犬はわたしの家の犬となった。

これがその犬
犬のコロ
残念ながらこの犬の画像はこれしか手元にない。

それは例の壊れてしまったデジカメ入手以前の犬なのでデジタルデータがない。
今度、うちのデジカメ以前のカメラで撮影した写真の山を掘り返して探してみることにしよう。

サイトにも記載したとうり、この(U´Д`)ワンワンの名はコロ。

なんと可愛らしい(U´Д`)ワンワンではないか(*´∀`*)

犬の一匹や二匹なんとかなるものさ。
と、タカをくくっていたわたしであったが、猫飼い歴何年か。
というほど猫を飼った歴史と経験があれども、犬と猫は犬猫とよく一緒くたにされるものの全くの別物であることが犬を引き取って一週間せずによーく納得いたしました。

タカをくくったその一つに、犬というものは猫と違って人の言うことをきく。
お利口に人間の命令には従うものだ。

そんなのウソだ(;´Д`)
とは、言いませんが、注釈は必要で犬と言って大きい犬小さい犬。
犬種問わず、幼き頃そのような躾を受けた犬、飼い主が礼儀作法を教えた犬は人の言うことをきく。

だが、野放しにしていた犬はわたしの言うことなんかきかない。

まずはこの犬の狼藉は家に来て一週間は夜泣き喚き続けた。

私近所の家を回って「申し訳ありません。あの犬は飼い主を亡くした可哀想な身の上の犬なんです。」
と、謝り続けました。

近所の方々はまぁ、長くても2,3週間すれば落ち着きますよ。
この辺は少し前まではみんな犬飼ってたものです。

から犬の身の上に同情する人まで、、。
なんと良い人たちでしょう!感激的な気持ちにすらなりました。

しかし、この近所は良い人たちばかりだから安心して大人しくするのだよ。
と、言い聞かせて大人しくなる気配はない。

散歩すれば大人しくなるので夜散歩に連れ出した。
だが、夜通し散歩するわけにもいかない。

だが、朝は5時に犬がうるさいので根岸森林公園に散歩に出かけた。
こんな時間なら人も犬もいないであろう。

の予測は大きく裏切られ、朝5時の根岸森林公園、人と犬に満ちていた。

早起きの人や犬っているもんだわ。

見ると、飼い主の言うことをきいてそもそもノーリードで歩いても飼い主に歩調合わせて歩ける驚異的な犬もゾロゾロいる。

ああいった犬とうちの犬は頭の出来が違うのかしら?

いーや、そんなことはあるまい。
うちの両親がこの犬を野放しにして、東京都が犬の放し飼いを規制していなかっつた頃の犬飼法でいたのが悪いのだ。

解った以上は対策を立てなければならない。
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月曜日の病院

日曜日に怪我をしてその日は離脱。
明日整形外科の専門医に診察受けてください。

なので、病院に出発する前に学校に欠席の電話を入れなくては。。

当然今日は、病欠(怪我欠)であろう。
だが、息子学校は遅刻して行くから、電話でそう言って。

昼過ぎになるわよ。
休んだほうが良くないか?

だが息子の決意は固く、学校には行く、そして部活も休まない。

その怪我で練習できるのかい?
出来る範囲でするそうだ。

わたし学校に前日野球の部活で怪我をして今日は病院で専門医に診てもらいますので遅刻します。

電話の向こう、、。「休ませりゃいいでしょ、、。}ムード。
わたしが無理やり学校に行けって、言ってるんじゃないわよ。
本人が行くってもん、行くなとも言えないでしょ。

なので本人は学生服着てまたまた、私たちはハマスタ近くの病院に向かう。
病院は流石に診察日、盛況であった。

これじゃ午前中いっぱいかかりそう。
それでも学校に行く!というのだから、横浜緑ヶ丘高校よほど楽しいo(^∀^)o タノシイ♪いい学校なのだろう。

何100人もの患者とその面倒みるスタッフがいると思われるハマスタ近くの大病院。
昨日とはうって違う。

何時間待てば順番巡ってくるんだ。
やっと巡り巡ってうちの息子の番。

やはり骨折している。
ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!それじゃ部活はムリ!

大変な治療が始まるんですか?

わたし怪我しない体質でこの年にして骨折したことがない。
なので骨折と聞くと心底焦るのです。

ここで医師のお言葉は、骨は自然につく傷が塞がるまではタマ投げタマ打ちの練習は避けてください。

それだけ?

わたしたちは薬をもらい。
わたしは家に帰り、息子はケチな骨折くらいものともしないで本牧緑ケ丘の見晴らしのいい楽しい高校へ約4時間遅れの登校をしたのです。

怪我と病院通いの日々

うちの息子は長期離脱するような大きな怪我は幸いなことにしなくてすんだ。

だが大怪我はしなくてもせこい怪我はしょっちゅうで、わたしは最初文句言ってた割にはすぐに高校硬式野球にハマり、練習試合、大会はほとんど見に行っていた。

その日の朝息子は練習試合に出かけた。
なのでわたしも試合見物に出かけようかと思ったところ、電話が部活顧問の先生からかかってきてなんでも練習中に怪我したので今日は帰します。
とのこと、本人にも連絡とったらノックの球を右手の指に受けてしまって(息子は右投げ左打ち)今日は練習も試合も無理なので怪我の手当てを家でしてくれ。

と、そっかせっかくの試合なのに残念だな。

ではわたしも今日は試合見物は諦めて消毒薬と絆創膏の用意をしておこう。

常時このような絆創膏というか滅菌パッドは用意してあった。
更に

このようなものまで。

家に帰ってきた息子Σ(゚д゚lll)ぎゃあああああ(゚д゚)滅菌ガーゼくらいで埓があく怪我じゃない。
右手が血まみれになっているΣ(|||▽||| )

痛いか?そりゃ痛いよ。まして指の先の方なんだから。

これはプロに任せなくてはならぬ怪我。でも、日曜日、整形外科も外科も休診日だろう。

わたしは一番近くの大病院にTEL野球で怪我をしたので診察と手当をして欲しい。
答えは急患は診るが今日は整形外科の医師は不在、外科の医師がおるがよいか。

良いわ。とにかく派手な骨折してないか診てもらって洗浄消毒の手当して痛み止めと化膿止めの薬もらえればいい。

なんとなく、草野球でちょっと怪我したくらいで大げさな、、。
雰囲気あったのですが、草野球じゃないわ。高校野球よ。硬式の。まぁ、診ればわかるわ。

うちから車で15分ほどのハマスタ近くの病院に到着。
流石に日曜の急患全く待たされることなく診察してもらえました。

そして、ううっ。この怪我診てもらえれば、病院に駆け込みたくなる気持ち。。わかってもらえたみたい。

レントゲンでは大きな骨折はしていないものの、細かい骨折はあるかもしれないので後日専門医に診察してもらいなさい。
高校生なら大丈夫だって、二十歳過ぎたらダメだけど。

待て、だったらわたしが怪我したらどうなるの?
二十歳とっくに過ぎてるんだから、あーあ怪我しないようにしよう。

お医者さん看護師さんにそりゃわたしじゃ無理っていうプロの仕事してもらって、薬頂いて帰りました。

明日はここの整形外科にくるんだ。

まだまだ、続くであろう病院ゆきの日。その予感は見事的中いたしました。


楽しい部活のためのお買い物

野球部に正式入部決まりし頃。
部活のためのお買い物。

なんでもうちは中学までは軟式野球だったので、全て?!硬式用に買い揃える必要があるそうだ。

そこでわたしたちは楽しく野球用品を買いに出かけたのでした。
と、言いたいところだがそのようなお店は女の来るところではない(@^▽^@)

とばかりにヤローどもだけで野球用品販売店へと出かけて行ったのです。

女子野球だってあるじゃないか(`・ω・´)

まぁ、わたしが行ったところで高校硬式野球始めるにあたって何が必要かはわからないけど。

靴?!も裏にピンがうってあるのとないのとが必要。
で、グローブがいくつか。

寒い時に手にはめる普通の手袋状のやつから、例の野球のタマを捕獲?!する巨大なやつまで。

更にはスパイクの(これは裏にピンが付いてるやつ)の泥を叩き落とす棒。
わたしが洗濯することになる練習着。

タマ捕球用のグローブは特注で、高野連のお達しの仕様にするため名前を刺繍する箇所にもこだわりがあって、、。

それは良い。
それは良いが、いくらするんだ?

安くはなかった。あーあ、県立で良かった。

その自慢のグローブを成形するための用具、手入れする道具ひと揃い。

ただ、グローブ出来上がった!の知らせを受けた後はわたしは息子を車に乗せ横浜にある野球用具専門店なるところに向かいました。

チャコット(これはバレエ、ダンスのお店)の隣。

(ΦωΦ)フフフ…野球のお店がどんなものか見てやるわ(*´∀`*)

だが、車をおりたうちの息子わたしをひと睨みして、
「チャコットでもみてて。」

追い払うのかーーー!!

継続と中断繰り返しながらもバレエは20代の頃からのわたしの趣味。
おとなしくチャコットにて息子グローブ受け取りを待ちました。

息子がバレエ少年だったらわたし伴ってチャコットで買い物したのだろうか?

日々高校球児のお弁当を作り続けたわたし

わたしは高校球児の母デビューし、息子は高校球児デビューした。
高校球児になったからにはそれらしくしなければならない。(らしい。)

校則があるわけではないので男子の長い髪OK、カラーもパーマも問題なしの高校だが、どうも野球部だけはそういうわけには行かないそうだ。

強制ではないけれど五分刈り推奨、、。
うちの息子はどうしたかというと、床屋に行って五分刈りにしてきた。

これでお洒落出来る高校なのにお洒落出来ない日々が始まるな。

だが、うちの息子的には髪型問題より大きな問題があった。

それは、高校入学当時の体重は63キロくらい。
身長184センチに対してだ。

つまりは痩せ過ぎている。
当時太めになったのを気にしていたわたしはなんと贅沢な悩みじゃあないか。

それに痩せてたっていいじゃないか、仕方ない。

ではすまないそうで体重増やさなきゃなんない。って。

どうやったら体重増える?難しいことかい?

体重増やすのは食べればいいそうで、なんだ簡単じゃないか。
でも単にデブになるだけではダメで、ジャンクフードを山ほど食べて太るようなやり方はNGだって、でどうしたらいい?

渡されたのは

↑このような本。
つまりその体重増加のための食料供給源係はわたしだということ。

わたしちゃんと読みました。ちゃんと読んで且つ、大量の食料供給を痩せすぎの息子のために行ったのです。

もう、モデル体型に産んでやったのに(・。・)

しかし、太め気にしてたわたしだって高校硬式野球部の練習に付き合ってたら(無理だけど)痩せるであろう。
わたしだって、若い頃は痩せる質だった。

横浜市は中学からは給食がないのでお弁当つくりは中学からやっていたが、高校からのお弁当は中学生の頃のようなカワイイものではなくなった。

↑もちろんこのようなカワイイ(*´`)ものではない。

どっちかというとこんな感じ↑

県立高校にしては感心に学食があるのだけれど、うちはお弁当を持って行きたがったので大量のご飯炊いて作りましたわ。

隙間にこれも入れた。
冷食使ったの?
って、使いましたよ。だって女子高校生の見栄えの綺麗な小さなお弁当作るんじゃないんですよ!
週に2回は朝練習で、その日は近場の高校だったことがどれほど有難いと思ったか、早起きの嫌いなわたしは感謝しました。

だんだん一人前の高校球児とその母親になってきた(*´∀`*)

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