高校球児の私服

2005年になった。
4月には3年生になる。

2003年春には遥か遠い日々に感じたが、もうすぐ。

確かに年末年始は野球部の練習も休みとなったと思う。

と、いうことはこの時期だけ私服で出かけてたかな?
このあたりの記憶は定かではない。

うちの息子はお洒落だ。

中学生の頃は原宿まで連れて行って服を買ったこともある。

大学生になれば当然、わたし同伴で服を買いになんか行かないが、首都圏の若い者の流行りの店はほとんど行ってたんじゃないか?

時々、その服を奪ってわたしが着ていた。(@^▽^@)

だが、その息子からして高校時代はほとんど私服を買わなかった。

髪型も高校時代は中学生の頃からの行きつけ(これはわたしも一緒の店)の美容院には行かないで近所の理容室で五分刈りにしていた。

微かな休みの日はとにかく、私服着てる時間がなかったのだ。

練習は週1で休みだけれど、普通は学生服着て学校に通ってる。
土日祭日は、試合で、制服で行動する。

制服は学生服。冬場は男子はこれで登校しましょう。と、自転車通学する人は届出出してください。
通学路と、法律を守りましょう。くらいが、校則だったかな。

夏服に替わる時期狙ってクリーニングに出していたが、今は丸洗い出来る。清潔でいい。

スクールセーターは紺のを持っていた。

   

色付きでも学校的には良いらしいが、野球部はNG。全部白いシャツ持ってました。
夏休みはほとんど練習と試合と合宿、私服着てお洒落して出かけることもナシ。

2005年、そんな高校球児の日々もあと何ヶ月かになってしまった。

秋の大会の雪辱を果たすのだファイト♪。゜+.o((◕ฺ∀ ◕✿ฺ))o


2度目の冬

もうこれが、高校球児最後の冬。
本当に早い。

来年の今頃は受験、センター試験受けるのだろうか?
11月からは練習試合もなくなる。

わたしは冬生まれなのだが、冬は苦手な季節、それに息子の練習試合もないのがよけい凹む。

冬のあいだ、息子たちはうちの近く根岸森林公園に隣接する道から山手方面に向けて8キロくらい走る。

わたしは公園でランニング風景を見ていた。
ほとんど見に行った。

見たからどうだ!というものでもないけれど見に行った。

2005年の夏になれば息子は18歳になる。
ハマスタに開会式直後の試合見に行ってから、その時点でほぼ15年が経過する。

18歳になれば成人はしていないもの、だいたい大人とみなされる。
子育てってここまで来てしまえば驚く程早い。

15年前のハマスタ、あと15年経てば18歳になるのは明瞭な事実なのに、わたしの息子に限ってはいつまでも小さな男の子でいるものだとどこかで信じていた。

15年経てば180cm越えの大男に成長すること、想像していた筈なのにやはりどこかで信じてなかった。

成人するまであと2年半。10代を引き止めておきたい。

次の大きなイベントは春の大会だが、、。
秋季大会予選敗退してしまったのでお揃いの父母会シャツの話は立ち消えしてしまった。

こんな緑の地にプリント入れる予定だったのかな?

だが!2005年はどうかな?
横浜緑ヶ丘高校野球部。

3歳くらいまでこんなの使ってた。

秋の大会

夏は終わった。
秋季大会が始まる。

2年生の秋、ここまでの長い道のりを歴てとうとう息子レギュラーの座を掴む。
背番号5を持ってきた。

1年半わたしの頑張りもあって体重が70キロ越えになった。

高校生になって初めての公式戦出場、活躍出来ますように(祈り)
わたし試合に勝つためのいろんな儀式試行錯誤中。

こんなのをユニフォームに縫い付けます。
写真は10ですが、うちは背番号5。

だが!この初めての公式戦、なんとまあ予選敗退。
悔しく(><)かつ悲しい、、。

立ち直るのだ。息子よ!そして来年の夏こそ甲子園を目指すのだファイト♪。゜+.o((◕ฺ∀ ◕✿ฺ))o

そういや、夕べ悪い夢を見た。
息子が球技大会に出る。と、言って楽しそうに笑っていた。

いい夢じゃない?
じゃない(´;ω;`)これ立派な逆夢になる夢なのだ。

次の大会の前は泣く夢みますように。

そういえば、秋季大会の前辺り夏休み明けだったか、夏休み前だったか?
進路指導の三者面談があった。

今は部活頑張っていて、衛星予備校で勉強して来年夏の大会が終わり次第、勉強一筋にするが、甲子園で優勝してしまったら勉強の開始8月の終わりになるからって。
言ったな。

常時受験のことなんかこの頃は飛んでた。

本人はちゃんと勉強してたと思う。

まぁ良い。指定校推薦は逃したから、受験はしなきゃなんないが考えるのは来年の夏が終わってからでいい。

洗濯やご飯作り、飲み物や氷の運搬や神社巡り、整形外科の送り迎えはわたしに出来ても大学受験の勉強わたしが教えられるワケないじゃない。
と、開き直るわたし。


またまた、長い冬がやってくる。メゲずに洗濯に精出そう。

洗濯石鹸を大量消費して。

球児のご飯作りに励む。
来年の夏までには体重80キロ目指す。
無理だったら75キロ(小声)痩せる体質というのも苦労するというこを知った。



秋の大会間近のペットボトル運搬

最上級生となって(まだ2年生だけれど3年生は引退。)
秋の大会がすぐにありますから、この大会からわたしたちの代が中心になります。

大会の会場は横浜緑ヶ丘高校。

今度こそ、今度こそ、、。
息子よ。公式戦出場か?

わたしもより一層頑張らなければならない。
ほとんど毎日あの頃は大量のお弁当を作った。

そして夏場大量の氷を作る。

氷作りの方法は、、↓。

このように牛乳パックもしくはジュースの空きパックをよく洗って上部を切って水を入れて冷凍庫へ。
氷が出来た。

牛乳パックの氷

上から見たところ。出来るだけたくさん作ります。
牛乳パックの氷上から
このままビニール袋に入れて車で運ぶ。

クーラーボックス担当の球児ママ、もしくは球児パパがこのようなクーラーボックスを車に積んできます。
うちが担当だったこともあります。

このクーラーボックスに

パックの氷剥がす
まずはパックを剥がす。
そうすると、このような↓大氷が出来ています。みんなで協力して作ったこの氷の柱をクーラーボックスに入れて水を張ります。

氷ができた
水は現地調達。
その中に

このようなペットボトルをどっさり入れます。息子たちが熱中症にならぬよう、渇いた喉が潤うように用意いたします。

ペットボトル運搬係もいたしました。

当時はカーナビなし出かけたけれど、よくやった。
カーナビは出来るだけ搭載致しましょう。

あの当時迷子にならずにすんだのは単に運が良かったからです。

今でも夏はこのやり方で氷の柱作って自家製の冷たい飲み物ストックしています。

秋の大会こそ、試合に出られますように(祈り)

夏の旅

わたしのパスポートは大昔に失効している。
息子小学生の頃は海外旅行に行った。

国内でも飛行機で旅行もしたけれど、息子高校球児となる前くらいから旅行というものをしていない。

そもそも、夏というのは野球の旬。

夏前くらいになるとあーあ、旅に出たい。
今年の夏は何処を旅しようか?

の希求が息子、高校球児となってから全く湧き出てこなくなった。
とりわけ、高校2年の夏からは。

家族での旅どころではない。
この夏頑張れば息子、中心選手となれるかもしれない。

父母会の集まりも行われるようになった。

もー、普通の旅ではない。硬式野球部のある高校巡りの旅、練習試合観戦の旅だ。

土曜、日曜、祭日は練習試合ほとんど必ず行われるので行くのが当たり前。(強制ではない。好きで行っていた。)
神奈川県中の高校へ車で出かけた。
時には東京の高校へも出かけた。

車で出かけるのはうちに車があるからで、息子たち熱中症を起こさないためにペットボトルの飲み物や氷の塊を搭載して出かけた。

必要とされる水は各自持っているし、マネジャーさんがお茶用意してくれるがそれでも差し入れをするときはする。

夏場はウォータージャグが活躍する。

マネージャーさんたちお世話になりました。

夏場は球児ママのヘアケア、スキンケアも大変だけれど熱中症対策、観戦する方だって必要。
わたしが夏場元気を取り戻せる飲み物は

このビタミンウォーターがわたしは好き。

神奈川中の高校のグラウンド巡りすると、、。
やっぱり、私立の強豪校グラウンドまで立派。

スタンドまであって、その高校の父母会の方たちが飲み物や飴を配ってくれていた。
父母会の活動も断然活発そうだわ!

熱中症対策ではないけれど、アイシングバッグがうちにもあってよく使ってた。

今でもどこかにあるはずだけれど、これ熱中症対策にも使えそう。

夏は旬だけれどやはり過酷な季節。

また、海外旅行にも出かけよう。
おすすめサイト見つけた!

赤十字病院から

夏休みに入り2004年2年生の夏も学校お泊り合宿に出発、わたしは差し入れ当番にはならなかったので、本日練習着の洗濯ドカ弁作りのない日を過ごしていた。

3年生は引退したのでもう最上級か?
早いな。

また息子は大和町商店街の銭湯に行くのであろう。

何だか、あまりに近場で合宿してる気がするな。

そのように構えていた夕刻近く、ななんと当時は根岸のあたりにあった赤十字病院から電話。
(今はみなとみらいに引越ししてきている。)

息子怪我して、日赤で預かってる??
「とにかく、行きます。」

息子よ。今度こそ大手術するような怪我をしたのか?

わたし、家の近くでタクシーを捕まえた。
「赤十字病院へ。」
そしたら
「出勤ですか?」って、そっか看護師の準夜勤になる時間帯か。
わたし看護師に見えるのか?

ということは、またも時間外診療か。
バッティングマシンの球が首に当たったという話だったが、、。

「いえ!野球部の息子が部活で怪我したんです。ううっ。」
運転手さん、突然お気の毒モード。

病院に到着すると、案外息子はピンピンしてる。

どうしたのだい?
バッティングマシンの球が首に当たってその場に倒れたそうだ。
少しふらつくがもう気分はいい。

だが、当たり所が首なので、、。

お医者さんがレントゲン写真示すところ、首の骨は折れてなくて、、。

それはわたしが見てもわかる。
見るからに立派な頑丈そうな骨である。と、お褒めに預かりましたわ。

そうよ。わたしたち親子は細めだけれど超頑丈な骨を所有している。

だが、どこかに異常、炎症が隠れていて痛み違和感がこれから出てくるかもしれない。

うーーんん。そうか!本日、レントゲン撮影料、時間外診察料払ってうちに帰って大人しく寝たほうが良いであろう。

ところが、病院出たところでうちの息子。
「合宿に帰っていい?」
あのな!

横浜緑ヶ丘高校よほど楽しい学校なのか?って。
異常、違和感があったら必ずうちに連絡して病院に行く。良いな?

またしても病院からわたしは家に、息子は学校の合宿へと帰って行ったのです。


ファミレスに集合

2004年の夏の大会が終わった頃、いよいよ父母会の活動が本格化するのでその話し合いがファミレスにて持たれました。
集合時間は夕刻、働くママが多いためです。

キャプテンの親が伝統的に会長に就任いたします。

うちの息子はキャプテンではありません。
なのでわたしは会長にはなりませんでした。

秋の大会に向けて準備を進める。主に応援。

氷を用意しましょう??

こおり、、。氷ってあの氷だよね?
ペットボトル入りの飲み物を配る。その時、ぬるくならないようにするため。
どうするんだ?

車を出してくれるうちは協力を要請。

また、大会に向けてお揃いのTシャツ、ポロシャツ等を作るか再度話し合いの場を設ける。

また、夏休み中に合宿が行われるので差し入れを父母会からする。

あのうちの近所の銭湯通いして、花火をする合宿か。

花火差し入れるのか?

これは部員たちが各自で用意する。

差し入れるのはアイスクリームを人数分。

わたし、夏の合宿ならこんなの差し入れて欲しい(*´∀`*)

高校球児ママ友会の結束\(*⌒0⌒)♪
息子たちこそ頑張るが、ママたちも頑張る(*^_^*)

この夏場、お肌のケアもさる事ながら球児ママたちが苦労するのがヘアケア。

息子さんたちはたいてい5分刈にしているからいいが、球児ママのわたしまでお揃いの5分刈りにするわけにはいかない。(袈裟着てない尼かとおもわれるよ。)
わたしは肩くらいまでのセミロング、濃い栗色にカラーしてたのが、その頃退色してまるで赤毛。

美容院で髪全体濃い色にカラーしてもらったら、、。
頭の地肌まで日焼けしてるって(◎-◎;)!!

髪の毛が痛んでバサボサになったのは言うまでもありません。

帽子かぶってタオル被ってたっていうのに。
かといって、いくら中年でも女であるわたしは傷んだ髪を切って坊主に(再度言いますが、出家するわけじゃないんだ!)して紫外線が弱まった頃また髪をのばす。
という手は使えません。

このようなヘアケア製品を使ってヘアケアに努めるしかありません。

また、時と場合によってはオリーブオイル髪と地肌にすりこんで蒸しタオルを頭にぐるぐる巻きにする。その後シャンプー。

これは効きました。顔面のツッパリがひどい時にはお面のほうにも塗る。
ツッパリが緩和(*´∀`*)

この頃から、わたし単独行動が少なくなりママ友会が頻繁に開かれるようになって楽しかったo(^o^)o

産後16年たっても地肌に効くシャンプー試してみる価値あります!

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大和引地台球場

さて、大和引地台球場って、どうやって行くんだ?
2年生の夏、まだこの頃はママ友たちとチームを組まないで単独行動していた。

相鉄線大和で降りる。まぁ、なんとかなるであろう。

2004年7月12日。
スタジアムが近づくにつれてのワクワク感。

息子高校生になってはじめての公式戦。
勝ってくれ、勝つんだ!そして、なにより試合に出てくれ!

だが、どうもこの対戦カード相手校の藤嶺藤沢高校強いらしい、、。

2004年、前年の涼しい夏の2003年のぶんを取り戻すかの如く、暑い夏となった。
相鉄大和駅からトコトコ歩いて約15分、吹奏楽のクラブやチアのクラブも来ていて、何だか本当に、、。

高校野球している。
よくぞここまで成長してくれた!
思えば長いような短いような16年。

うちの息子は8月生まれなので、正確には16年11ヶ月。

選手一人づつ、ちゃんとテーマ曲があってうちはさくらんぼ。

だが、この日の試合4対1で藤嶺藤沢高校の勝ち。
横浜緑ヶ丘高校の夏は終わりました。

そして、息子も背番号15をもらいながらも出番ナシ。
ううううっ、か悲しい、、。

2004年、7月12日。夏の終わりに大和引地台球場引き上げようとした。
その時。

スタジアムに来ていた同学年のママ友。

これでわたしたちが最上級生、父母会の活動の中心となる。
キャプテンの親が(うちの息子はキャプテンになる心配はない。)例年、父母会の会長なり会合の場を設けるので、では早速、、。

ええっ、そっか!

夏の終わりは新体制の発足、息子よ来年の夏こそは試合に出てくれ、そして活躍するのだ!

わたし頑張るわ\(*⌒0⌒)♪

2003年春、高校硬式野球部入部について少なからず文句言ってたわたし。
2004年夏には丸ごと、高校野球にハマッていたのであった。

夏場の球児ママに是非とも必要なのは容赦ないスタジアムの紫外線対策。

このような日焼け止めは是非とも必要。
ですが、真夏の太陽光線は日焼け止めだけでは防ぎきれるものではありません。

だが、日焼け対策を怠れば後々、どのような大惨事に見舞われるかは火を見るより明らか。
夏のスタジアムは気温40°以上にもなるので当然盛大に汗をかくので汗に強いタイプの日焼け止めがお薦め。

それに加え

このようなお洒落なバスタオルをブルカの如く、頭から被ってしまう。

それでも、日焼けはします。
もう、これは宿命ですが何もしないで劣化、酸化させておくテはありません。
現在使っているのは

この基礎化粧品、息子社会人となってしまった今でも野球それもデーゲーム観戦は好きなので日焼け止めに加えて中年の肌にあうスキンケアは欠かさずしております。


2004年の夏 続き

息子が出場する初めての夏の大会。
2004年7月10日土曜日、さあ、テレビで見た甲子園大会の開会式イメージしてたわたしです。

直接開会式見るのはわたし初めて、息子幼かりし頃の観戦は完璧開会式が終わった後の試合。

だいたいがところ、甲子園と似てはいますが、やはり完璧に違う。

そりゃ、この中から勝ち抜いた一校だけが甲子園には行けるんだから、違うといえば違うのだけど。

神奈川県大会全国最多、195校。
甲子園のように見ている間に、全高校球児が整列してしまうのとはワケ違う(^_^;)

エンエンと入場行進が続くのです。

神奈川だけでもこれだけ高校球児がいるのだ!少子化なんてウソじゃないか?って、思いますが、本当に統計上少子化はしている。

でも、こんなに野球部の生徒(全員男子)いるじゃないか!
少子化本当なのは2003年、なんでも何年ぶりかで200校切った。って。

待て!では、2002年以前は200校以上もの高校球児が行進したのか?

なんとブリリアントな光景ではないか!

夏が輝き、青春が輝いている。

栄冠は息子に輝いてくれ!

今でもこの曲輝かしい夏の日々に結びついている。

こちらは吹奏楽の楽譜、野球部の応援に吹奏楽部の皆様演奏してくれました。
ありがとうございました。

開会式後、球児たちがバックスクリーンの下が開いていっせいに走って退場する。
わたしはこの場面が好き(*´∀`*)

開会式が終わっても息子たちは学校に帰って試合に向けて練習。

横浜緑ヶ丘高校、ハマスタから近いからいいけど、遠くの高校は大変だろうな。

2004年開会式

夏が始まった。
2004年神奈川大会開会式((o(´∀`)o))ワクワク

7月10日横浜スタジアム、13時開始。

息子補欠ながらも入場行進に参加。
それも列の前の方だって( ´ ▽ ` )ノ期待されてるのか??

いえ、なんでも背の高い順に並ぶからだそうです。納得。

来年、3年生になると父母会も活動活発になって朝早く並ぶそうですが、当時の横浜緑ヶ丘高校野球部の父母会、1年2年の親は千羽鶴の鶴折り業務するくらいであまり仕事はない。
父母会の活動がもっとキビシイ学校はあるそうだが、、。

なので2004年の大会、うちは横浜スタジアムに近いせいもあってのんびり昼ごろ出かけた。

だがだが、デジャブの如くこの光景大昔、あるいは夢の中で見たことがあるような。

いえ、夢ではなく現実。

息子確かに3歳の時、TVKテレビで高校野球の開会式をやっているのを発見。
ハマスタで高校生が野球やってる見に行こう。

若き日のわたし幼き息子を連れてハマスタを目指しました。(て、JRでふた駅だけど。)
観戦したのは開会式後の試合。

汲沢高校(今は横浜桜陽高等学校)vs岸根高校。
確かに岸根高校の勝ち。(だった。と思う。)

あと10年少しで息子もこのような一人前の少年となるのか?

「高校生になったらここで野球の試合しようね。」
そう言った割には当初野球やるの歓迎しなかった気もするけど、まぁ。゚+.(*`・∀・´*)゚+.゚良い!

あの日のつぶやきが実現しそうだ。

この時から熱い戦いの火蓋が切り落とされるのだ!
そして、物理的に暑い。

不思議なことに7月10日なんて普通は南関東梅雨期真っ只中なのに開会式が土砂降りだった記憶1度もない。

けっこう半端じゃなく暑くなる。
暑さに弱い人は倒れるくらい暑い。

わたしも息子も暑さに強いからヘーキだが、プラカードガールは倒れる生徒もいる。
いつぞやは温度計(わたしのキーホルダーは温度計が付いている。)みたら45°だった。

それに加えスタジアム全体がハイになりまくってる雰囲気、審判員の方々もハイになってる感じ。

2004年の夏、どんなドラマが展開されるのか??