保土ヶ谷球場再び

今思い出したのだけれど、息子が大学生の頃、保土ヶ谷球場での試合があった。
夏だった。

懐かしい保土ヶ谷、行くわ。
神奈川県で試合することもあるのね。

今や新聞記者となって息子が車ごと茨城に赴任してしまったので車無しで暮らしているが、その当時は車はあった。
だが、依然とカーナビはなし。
だが向かう場所は保土ヶ谷、カーナビなしてもなんとかなるさ。

もー、わたし当座の夢はカーナビつきの車でプロ野球見に行くことだわ。

だが、現地に着くとなんだか高校野球の頃とは様子が違う。
大学生の野球なんだから違って当たり前だけれど、なんとスタンド開放してないって、、。

ええっーーー(;_;)どういうことなの?
部外者は入っちゃいけなの?無観客試合なの?

スタンドは貸出してないから。って。
でもー。と、言ったら、ふつう選手しか入れない通路開けてくれた。

そこから、観戦。
だけれども、ここからベンチに行ってそこで観てくれませんか?
って、いや。それならもういい。

うちの子は小さな子供ではなくて大学生なんだから。
やっぱり変でしょう。

球場から外に出たわたし。
他にも野球場あって、子供の野球もやっていた。いいな、あれくらいの時期はうちだって子供が小学生ならドードーとベンチに入って世話焼いたのに、、。
何故かよく覚えているのは、瓢箪の棚があって瓢箪が沢山なっていた。

わたしの実家にも瓢箪の棚があった。
あの実った瓢箪、水に漬けて種抜いて皮を剥いで、エナメルを塗ったりして置物や一輪挿しにしてたな。
うちでも瓢箪植えようかしら?

今日も息子たちは試合が終われば仲間とどこかに出かけるのであろう。
野球ロスは癒えない。

空の巣症候群の苦しみはこの頃まだまだ続いた。





引退 とうとう息子が選手じゃなくなった(T▽T)

思ったより早くそれはやってきた。
東京六大学理工系野球リーグ、3年生で引退なんだってΣ(゚д゚lll)

待てよ。あと1年は続くと、、いやあと半年は続いてくれると思ったのにもう引退かo(TヘTo)
いよいよ、わたしも息子の野球の追っかけは終わりのを迎える。

2005年7月23日息子高校球児最後の日から約4年半、本気の野球ロス。
息子が選手じゃなくなった(T▽T)

これからどうする?って、言ってもそれはもう野球部はヤメにして社会人になるべく活動をする。
そして大学卒業の暁には一人前の社会人となる。

と、なればこれまでの息子への掛かりは零となる。ははは(@^▽^@)、、、。
と、ばかり言ってられない。
わたしは何をして過ごせばいいのだ。

それは過ごしようはいくらでもある。
日々、家事に精を出す、趣味に生きる(だからその趣味を何処から持ってくるんだ、、。)仕事を見つけて働く。
だが、どれも高校野球やっていた頃の熱狂と存在証明は生じそうもない。

それでも選手と名のつくものであってくれた頃は良かったけど。
新たな生きがい探しをしなければ。

早々に追い出しコンパがあるらしい、、。
もっともほとんどの学生が理工学部なので院に進学する学生も多いみたい。

この頃はもう息子も大人酒飲んで夜遊びしていても補導される心配はない。



だが、この東京六大学理工系野球を引退した後幾歳月か、わたしはわたしでとんでもないシチュエーションで生きがい見つけをするのだが、この頃はまだ闇の中。
息子卒業してどこに就職するのか?

いよいよ家を出て行ってしまうのだろうか?

だが、結果から言うと息子就職するのは卒業より5年遅れ、それまではなかなか興味深い活動をしていて、わたしはわたしでその途上で探していた生きがいを見つけた(^-^)