2度目の冬

もうこれが、高校球児最後の冬。
本当に早い。

来年の今頃は受験、センター試験受けるのだろうか?
11月からは練習試合もなくなる。

わたしは冬生まれなのだが、冬は苦手な季節、それに息子の練習試合もないのがよけい凹む。

冬のあいだ、息子たちはうちの近く根岸森林公園に隣接する道から山手方面に向けて8キロくらい走る。

わたしは公園でランニング風景を見ていた。
ほとんど見に行った。

見たからどうだ!というものでもないけれど見に行った。

2005年の夏になれば息子は18歳になる。
ハマスタに開会式直後の試合見に行ってから、その時点でほぼ15年が経過する。

18歳になれば成人はしていないもの、だいたい大人とみなされる。
子育てってここまで来てしまえば驚く程早い。

15年前のハマスタ、あと15年経てば18歳になるのは明瞭な事実なのに、わたしの息子に限ってはいつまでも小さな男の子でいるものだとどこかで信じていた。

15年経てば180cm越えの大男に成長すること、想像していた筈なのにやはりどこかで信じてなかった。

成人するまであと2年半。10代を引き止めておきたい。

次の大きなイベントは春の大会だが、、。
秋季大会予選敗退してしまったのでお揃いの父母会シャツの話は立ち消えしてしまった。

こんな緑の地にプリント入れる予定だったのかな?

だが!2005年はどうかな?
横浜緑ヶ丘高校野球部。

3歳くらいまでこんなの使ってた。

季節は音もなく秋から冬に移ろう。
12月上旬の南関東の街は紅と黄金に満ち溢れる。

この時期に高校野球、練習試合も公式戦も行われない、、。(と、思う。)

わたしの記憶がさだかならばそうだ。そうだったと思うが今は違うかも知れない。

今度息子が帰省した時に聞いてみる。

12月も末頃には紅葉した落葉樹は葉を落とす。

寒い{{ (>_<) }}冬がやってくる。 だが、息子たち寒さなんかにメゲずに3月(多分)の試合解禁目指して練習を続けている。 野球って原則外でプレーするんだから夏より冬のほうが辛いだろう。 わたしは暑さには強いが{{ (>_<) }}寒いほうが苦手。 生活全般がそうなんだけれど、冬は夏場必要なかったグッズがまた一山入用となる。 ↓このような手袋。

このタイプの手袋は小学生の頃冬の練習にしていった。
何故か高校生となってからは不思議なことに軍手を愛用し、この手袋の大人用は買わなかった。
買ってやったのに!

だがこの手袋は非常に非常に重宝し、文字どうり手袋が息子の手に負えなくなってから?

つまりはいくら伸縮性が良くてもうちの子手が大きいものでジュニア用では間に合わなくなった。

あら残念、なのでこの手袋その後永きにわたってわたしが使用した。

わたしの手はピアニストとしても女性としても小さめなのでジュニア用で間に合う。

冬の犬の散歩に使った。もこもこゴロゴロしなくてそれでいて伸縮性があってスグレモノ。
手のひらに滑り止めがついているのも犬リード掴むの滑らなくて良かった。

少しくらい糸がほつれても使っていた。
が、しまいにはとうとうボロボロになったので捨てました。
いったい何年使ったか?10年近く使ったんじゃないか?

冬中使ったのが、そしてカイロ。
大箱買ってもすぐになくなった。
それは、使うのは息子一人ではなく練習見物に出かけたわたしも大量に使ったから。

冬場うちは常時このようなカイロがあった。

ウィンドブレーカーも持ってたな。

冬のあいだは息子たちは走っていた。
本牧緑ケ丘から聖光学院の横を抜け根岸森林公園の横を走る。
このポイントでわたしは見物をする。

時には犬を連れ、時にはその後買い物をする。

根岸森林公園から山元町の商店街を抜け、山手町の高級住宅地を走る。

海を望む美しい邸宅の並ぶ道を下ると山手警察のあたりに出る。
そこから本牧原を間門目掛けて走って間門のへんに着くと丘(山)を登れば横浜緑ケ丘高校到着。

ご苦労であった。
わたしは地元なのでほぼこの走行コース把握しているけれど、例によって全て坂まるけ。
歩くのだってこの距離、この坂、大運動会になってしまう。

長い冬が終わって4月になれば新入生が入ってくる。

来年、公式戦に出られますように(祈り)

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