2014年春

息子の野球ロスから立ち直りつつある2012年頃から、かつて息子たちが試合した神奈川県内のスタジアムの二軍戦観戦して、2013年やっと埼玉西武ライオンズのファンクラブに入会してドームまでたどり着いた。

だが、何となく。何気なく。
今はメットライフドーム、当時は西武ドーム大昔は西武球場の更に奥にあると言われている西武第二球場の二軍戦観戦に行く勇気は出てこなかった。

高校野球、それも横浜緑ヶ丘高校の試合ならばどこにでもヘーキで行くのに。

つまり未知との遭遇というのは勇気がいるのだ。
西武第二球場のブルペンサイドに夏中張り付いていた2015年になってしまえばなんでここに来るの躊躇っていたか不思議でたまらなくなるのだ。

だが、2014年の春。その日はやってきた。
お兄さんチームは遠征に行っている。
そのスキに(なんで一軍戦やってると行くのが怖いんだ。今思えば謎)様子だけでも見に行こう。





だって、ここ入場無料。って、プロの試合無料なんてこと本当にあるのか?

わたし、一軍戦ないものだから閑散としている。(ほんとに試合やるの?)西武球場前に降り立つ、ここを奥の方に直進する。

ほどなく到着した西武第二球場。
なんだか、息子たちの高校の練習試合思い出す。

ここは、スタンドらしいスタンドはない。
わたしは立ったままでへーキ。
高校のグラウンド、武相高校も藤嶺藤沢もスタンドはあったわ。

ドームの試合もいいけれど、春の狭山丘陵は輝いている。
狭山湖や多摩湖から駆け抜けてくるに違いない風が爽やか。

わたしはここが好きだ。

すっかりハマったわたしはエンエン片道2時間かけて夏中二軍戦見物に出かけ続けたのです。
この頃には空の巣症候群からは完璧に立ち直った。

2014年、2015年当時は家に息子はいた。

塾の講師をしながら芸能活動する息子を一軍の公式戦に誘って、一緒に観戦もした。
何故か二軍戦には行きたがらないのだ。
解説要因に役立ってくれた。

それは2016年5月、息子が就職して家から去るまで続く。





ファンクラブに入会 2013年初夏

今となっては記憶が定かではなく、埼玉西武ライオンズのファンクラブに入会したの2013年だか2014年だったか覚えていない。
オフィシャルサイトのマイページ見ればわかるか?
と、思ったけれど過去の入会の記録は出てこなかった。

何10年ぶりに昔西武球場、今はドームに行ったのは何時のことだったか?
それが、ただいま解明。
2013年でした。なんと、机の引き出しから2013年の卓上カレンダーが出てきた。
これはファンクラブの会員に配ってるやつで非売品だと思うから2013年にファンクラブに入会した。

だが、入会したもののやはり所沢は遠く、大昔買ったレオ人形はどこ探してもなかった。
捨てるんじゃなかった。

あの頃とはユニフォームも違う。
知ってる選手はあまりいない。

息子が神奈川高校球児だった頃の同期もしくはその前後の選手、大学の同窓生の選手以外はほぼ知らない。
昔追っかけしてた頃の選手はみなとっくに引退している。たまにあ、あの選手(^-^)
と、思っても選手ではなく監督に昇格している。

筍の命は短い。

その2013年の春(ううっ、息子が高校に入学してから10年の月日が経っている。)ファンクラブの特典チケット引換券を持っていた。
この引換券どうしよう、、。

どうしようって、試合見に行けばいいじゃないか。
所沢までの路線はそう変わっている筈もない。ところで、西所沢から西武球場前までの路線は今でも単線なのだろうか?(単線です。)

悩んだ挙句わたしは初夏にとうとうひとりで西武ドームにやってきた。
片道2時間。
何(’◇’)これくらい大した問題じゃない。神奈川県内だってもっと時間かかる辺鄙なスタジアムはあったさ。

何10年ぶりかのプロのスタジアムが近づくワクワク感。
西武線に乗っているその時からカンは戻ってきた。

チケット引換えて、そうよ。ここだった。
プロ野球の一軍線の華やかな演出。

この日の対戦相手はなんと、Denaベイスターズ、交流戦に来たんです。
そしてDenaのほうに息子と同期の神奈川高校球児だった選手が出ていた。
頑張ってくれ\(*⌒0⌒)♪

空の巣症候群から抜け出た瞬間だった。




保土ヶ谷球場再び

今思い出したのだけれど、息子が大学生の頃、保土ヶ谷球場での試合があった。
夏だった。

懐かしい保土ヶ谷、行くわ。
神奈川県で試合することもあるのね。

今や新聞記者となって息子が車ごと茨城に赴任してしまったので車無しで暮らしているが、その当時は車はあった。
だが、依然とカーナビはなし。
だが向かう場所は保土ヶ谷、カーナビなしてもなんとかなるさ。

もー、わたし当座の夢はカーナビつきの車でプロ野球見に行くことだわ。

だが、現地に着くとなんだか高校野球の頃とは様子が違う。
大学生の野球なんだから違って当たり前だけれど、なんとスタンド開放してないって、、。

ええっーーー(;_;)どういうことなの?
部外者は入っちゃいけなの?無観客試合なの?

スタンドは貸出してないから。って。
でもー。と、言ったら、ふつう選手しか入れない通路開けてくれた。

そこから、観戦。
だけれども、ここからベンチに行ってそこで観てくれませんか?
って、いや。それならもういい。

うちの子は小さな子供ではなくて大学生なんだから。
やっぱり変でしょう。

球場から外に出たわたし。
他にも野球場あって、子供の野球もやっていた。いいな、あれくらいの時期はうちだって子供が小学生ならドードーとベンチに入って世話焼いたのに、、。
何故かよく覚えているのは、瓢箪の棚があって瓢箪が沢山なっていた。

わたしの実家にも瓢箪の棚があった。
あの実った瓢箪、水に漬けて種抜いて皮を剥いで、エナメルを塗ったりして置物や一輪挿しにしてたな。
うちでも瓢箪植えようかしら?

今日も息子たちは試合が終われば仲間とどこかに出かけるのであろう。
野球ロスは癒えない。

空の巣症候群の苦しみはこの頃まだまだ続いた。





秋の訪れ

2012年平塚の春に始まってわたしは近場のスタジアムで埼玉西武ライオンズの二軍戦に力の限り出かけて観戦していた。

平塚球場より、良い思い出のある横須賀スタジアムにはよく行った。
京急の追浜駅から賑やかな商店の並ぶ通りをトコトコと歩く。
息子の高校野球じゃないので、運ばなければならないペットボトルも氷の必要ない。

京急に乗っての野球見物はいいものだ。
と、いっても平塚や横須賀はDenaの主宰ゲーム、西武戦がそうそう数多いわけではない。

だが、2012年の時点ではわたしは神奈川のスタジアムにひとりで出かけることはヘーキでも、所沢まで行って二軍戦を観戦する勇気はまだ出てこなかった。
もう、なんでそのようなことに勇気が必要なんだよ?
と、今にしてみれば思うのですがね。

それにどうもママ友たちはママ友たちで別の生きがいを見つけたらしく、誰もプロ野球観戦にノリはしてこない。

しかし、わたしが観戦しても息子と同年で神奈川高校球児だった選手は出場していない。
なんだか焦る”(°°;)””((;°°)”

怪我してるのかしら?

また暑い夏が始まる。神奈川県大会も始まる。
そうだわ。こっちも見に行かなければ、、。

追浜駅前夏祭りをやっていて、その間隙をぬって横須賀スタジアムまで行く。
息子の大学の同窓生達まで試合に出ていない。

一体どうしたんだ?
みんなわたしのこと嫌い(>_<。)なの?



横須賀も真夏はナイトゲームになる。

魅惑的な夏の夜、西武観光のバスのところでわたしも出待ちしようかしら?
だが、未だこの勇気は出てこない。そうよ。わたしはとてもシャイなのです。

秋風が吹く頃、そろそろプロ野球のシーズンは終わる。
来年に期待しようか??!

だが、この年の秋、息子と同期神奈川県大会戦った選手(対戦はしなかった。)引退してしまった。
花の命短いけれど、、、。

秋は二軍戦追っかけには(追っかけ初心者としても)辛い季節に違いない。
まぁ、仕方ないわ。
息子の大学の同期生や同窓生はまだまだ現役で来季もプレーするに違いない。
それに、観戦しているうちに息子絡みじゃなく、追っかけしたい選手が出てくるだろう。

2013年の目標。
埼玉西武ライオンズのファンクラブに入る。
所沢に行く。





春の平塚球場

勇気はいるけれど(あとから考えればいったいなんで野球見物に行くのに勇気なんだ!)独り平塚球場、Dena対西武の二軍戦に乗り込むぜ。
そのための下準備(というほどのことではない。)どうやって平塚まで行くか?

10年前は球児パパが車運転してわたしたちは車で出かけた。
だが、うちの車未だにカーナビがついてない。

更に、出来るだけ車で来るな。とお達ししてあるので電車で行こう。

だが、平塚球場ハマスタのように駅前ではない。
平塚駅からバスに乗れ。

どうしようか?それくらいでビビるな行くんだ行動あるのみ。

そののち、どこのスタジアムにもわたしヘーキでひとりで乗り込むようになりましたが、初めてひとりで(しかも中年になって)プロ野球の二軍戦観戦に出かける。
って、結構な勇気が必要でした。

そうよ。まずは、勝手知ったる。神奈川県内のスタジアム制覇するんだ。

なんとか平塚球場に到着したわたし。(別に難しいことはなかった。)
平塚球場って、こんなにいいところだったのね。
息子の公式戦となると周辺の木々や公園を見物する余裕なんてなかったけれど広い公園の中にあるスタジアム。

ライオンズのバスが停まってる。
野球やってる。
入場料は1000円、ファンクラブに入ってなくても入れてくれる。

平塚球場のスタンドこんな感じだったかな?もう覚えていない。





夏より春の方がいい。

スタンドも好きなところに座っていいし、めちゃくちゃ混んでることもない。
高校野球と同じくらいか?

忘れもしない2005年の7月23日、息子たちの前の試合日大対日大藤沢の選手、ともどもDenaと西武に分かれてプロにはいってる。
だが、目指す選手は試合には出ていなかった(つд⊂)

この頃は、そうなると誰も知ってる選手いない。(後にはほとんど全部の選手の名前覚えてしまった。)
プロ野球は迫力ある。

ひとりで来られるもん。
ひとりで観戦してる中年の女の人だってわたしだけじゃない。(後にわかったことだけれど、いくらでもいる。)

また来よう。二軍戦情報も調べるのだ。
当面ハマりそうな予感がする。

このように、息子の野球ロスから立ち直りつつあるわたしであった。

2012年春




平塚球場再び

2013年春。
息子、高校入学からちょうど10年、息子の野球は今や草野球。
それも1年に何度も試合はしない。

未だ野球ロスに苦しんでいたわたしだが、素晴らしいこと思いついた。
息子の代えを探そう。

息子同期で野球続けている主だった選手は今やプロ。
そうよ。神奈川高校球児とか(残念!横浜緑ヶ丘高校OBはプロ選手ゼロ)大学の同期とかその前後とか、、。

なんという天才的な思いつき(´∀`*)
では早速調査開始。

調査したところ、多少なりとも縁やゆかりのある選手は埼玉西武ライオンズに多く在籍していることが判明。




ななんと、西武ライオンズかいな(゚д゚lll)
ここならわたし息子がまだこの世に存在していなかった若かりし頃、そうあのドームに屋根がまだ付いていなかった頃。
追っかけしたことあるじゃあないか懐かしや。

だが、本拠地は所沢とおーいo(TヘTo)
うちから何時間かかるんだ!

だが、更に調査をすすめると、、。
息子と多少はゆかりある選手。みんな二軍にいる。

二軍戦て、一般入場者アリなの?(2013年当時はそれくらいのノリだった。)
だが、二軍はイースタンリーグ、関東地方でやってる。

Denaとどこで試合してるか?
横須賀スタジアムででも、平塚球場でも試合あるじゃないか?

行くんだ!
そこでわたし、ママ友に電話。プロ野球の二軍戦横須賀でやってるから観に行こう。

OK、してくれたものの横須賀スタジアムの試合は雨で流れた(;_;)
翌日は平塚、さあ、平塚球場再び行くわよ(*´∀`*)

そこで再度ママ友にtellするものの、習いごとがあるから無理。
習い事と野球とどっちが大事なの?!(`・ω・´)

でも多分習い事のほうが大事なんだろうな。
みんなもう息子の野球からは卒業して新たな生きがい探し当てたのかしら?

でも?!どうする。
いいわ(^-^)ひとりで行く。

息子たち、高校球児最後の試合となった舞台平塚球場へ、再び。わたしひとりで出かけよう。





大学卒業

2011年東日本大震災の年の9月、とうとう息子は大学卒業(祝´∀`)ノ.+:。卒業おめでとー。
諸事情で半年遅れの卒業となったが、半年だって学費払うのはわたし、、。

かなわない(;_;)5年生になんてならないでくれ!
だが、既に大人の息子4年生以降は残ってる単位(なによそれ?)によって授業料が決まるのでそんなに学費高くない。

この辺は総合大学卒業してないわたしは弱い。

正確にはいくらなんだ?なので大学に☎すると引き落としになる正確な金額教えてくれた。
もう野球部は引退してるんだから、これ以上大学生でいてくれてもわたし的にはメリットがない(ひどく利己的だけど)早く卒業してくれ。

だがまぁ、半年の希望留年3月は震災で東日本大変な時期だった。
でもうちは秋の卒業だったのでわたしはちゃんと卒業式にも出席しました。

ついでに息子に学帽と学生服用のボタン、政治経済学部の襟章買わされました。
卒業記念です。

何故か、息子家にある高校時代の学生服のボタン付け替え、ただ袖のボタンは縫い付け式だったので諦めていた。
なので、うちには前ボタン早稲田大学、袖ボタン横浜緑ヶ丘高校の学生服がどこかに今でもあるはず。





大学卒業してくれた。
院に進学する。だなんて言わないでくれたのでこれでもう永遠学費は払わなくてすむ。

明日から、社会人。
になってくれれば、もっとホットしたのだろうが、この時点ではそうはいかなかった┐(´д`)┌ヤレヤレ

進学塾の講師しながら芸能活動始める!
あのなーー!とはいえ、そもそも高校入学時点で野球より芸能活動推奨したのはほかならぬわたし。

ここより、息子の野球は完璧に草野球となりわたしは応援を断念したので息子の野球についてはこの章で終わり。
だが、この息子の現在は5年の芸能活動の末、いくつかの舞台務めて引退(今は卒業というそうだ。)全国紙の新聞社に入社して新聞記者をやっている。

わたしは野球ロスから立ち直ったかというと、一時はそれはそれはひどく落ち込んだ。
バカが(^O^)と、思いますがねー。

そんな失意の日々から、それでも立ち直るきっかけはやってくる。
息子と時代を共にした神奈川高校球児、そして大学の同期生とその前後。
神奈川高校球児はとにかく、大学国公立じゃなくて良かったな。臙脂のW野球強いもんな。

プロに行ってる選手が何人もいる。
そうよ(*´∀`*)息子の代わりを探そう。

息子大学を卒業する。の頃より、わたしの代理息子探しが始まった。




引退 とうとう息子が選手じゃなくなった(T▽T)

思ったより早くそれはやってきた。
東京六大学理工系野球リーグ、3年生で引退なんだってΣ(゚д゚lll)

待てよ。あと1年は続くと、、いやあと半年は続いてくれると思ったのにもう引退かo(TヘTo)
いよいよ、わたしも息子の野球の追っかけは終わりのを迎える。

2005年7月23日息子高校球児最後の日から約4年半、本気の野球ロス。
息子が選手じゃなくなった(T▽T)

これからどうする?って、言ってもそれはもう野球部はヤメにして社会人になるべく活動をする。
そして大学卒業の暁には一人前の社会人となる。

と、なればこれまでの息子への掛かりは零となる。ははは(@^▽^@)、、、。
と、ばかり言ってられない。
わたしは何をして過ごせばいいのだ。

それは過ごしようはいくらでもある。
日々、家事に精を出す、趣味に生きる(だからその趣味を何処から持ってくるんだ、、。)仕事を見つけて働く。
だが、どれも高校野球やっていた頃の熱狂と存在証明は生じそうもない。

それでも選手と名のつくものであってくれた頃は良かったけど。
新たな生きがい探しをしなければ。

早々に追い出しコンパがあるらしい、、。
もっともほとんどの学生が理工学部なので院に進学する学生も多いみたい。

この頃はもう息子も大人酒飲んで夜遊びしていても補導される心配はない。



だが、この東京六大学理工系野球を引退した後幾歳月か、わたしはわたしでとんでもないシチュエーションで生きがい見つけをするのだが、この頃はまだ闇の中。
息子卒業してどこに就職するのか?

いよいよ家を出て行ってしまうのだろうか?

だが、結果から言うと息子就職するのは卒業より5年遅れ、それまではなかなか興味深い活動をしていて、わたしはわたしでその途上で探していた生きがいを見つけた(^-^)





20th Anniversary号 横浜アリーナ発未来行き乗船券

2007年8月7日息子成人。
この日より、息子はわたしの管轄を離れ自己責任で生きてゆく。

翌年1月うちに来たのは20th Anniversary号 横浜アリーナ発未来行き乗船券は横浜市成人式の入場券で息子は午前の部だった。
少子化とはいえ横浜市は人数多いので午前、午後に分かれて成人式は行われる。

だが、うちは男の子女の子のように結髪、化粧、着付けで大騒ぎすることはない。
時々思うのは男ってそれで生きてて楽しいか?と、心配になるが、それはわたしに性同一性障害のケがないからだ。

町内会からもお祝いの金一封が出て、社会保険庁までうちの子供の誕生日覚えてくれていて国民年金払えと、祝福してくれました。
それについては現在学生で所得がない。もしくはアルバイト程度なので今は払えないのお断りを入れ(らしい。交渉は本人がした。)ました。

このように世の中はよってたかってわたしにとっては子供に過ぎない息子を20歳になった途端に大人扱いするのです。

それに、大学の入学式はわたしだって出席したけど成人式は普通親は行かない。

なんで子供って大人になってしまうのだろう?
当たり前なのに、不思議な感覚。




早く大人になってくれ!と、思ったことだって1度や2度じゃないはずなのに、、。
こうも社会が大人扱いしてくれるといつまでも小さな男の子でいて欲しい気がする。

つまりは成人して欲しい事象が満足してしまった今、子供でいて欲しい事象が不満なのだ。

楽しかった20年間。
だが、うちはまだ息子は家にいて家から大学に通っているがもうとっくに家から出て一人暮らしや寮生活している子だっているのだ。

だが、この時期、野球ロスに加えて空の巣症候群にも悩まされた何となくメゲていた時期。

あの日に戻りたい。
戻りたくても戻れない。新たな生きがい探しをしなくてはならない。





早慶戦

息子長年の夢だった早慶戦に出場。
とはいえ、神宮ではなく、東大検見川グラウンド。
そしてわたしは高校生の頃のように飲み物を用意したり、旗を運んだりしない。

六大学野球とはいえ理工系リーグの試合には、チアリーダーも吹奏楽部も応援団も来ない。
そもそも親だってわたしくらいしか来ない。

だが、良いわ。理工系リーグとはいえ東京六大学野球は東京六大学野球、そして早慶戦。

試合会場の東京大学検見川総合運動場、千葉県にあるのでややうちからは遠い。
もっともあの小田原球場のこと考えればアクセスは良し。
そして、めちゃくちゃ広い。

野球場ばかりでない総合運動場というだけあってサッカー場は何面もある。ラグビーもフィールドホッケーも出来る。
ついでにあんまり広くてハイキングまで出来る。(クロスカントリーするそうだ。)

流石に東京大学だわ。日本で1番入学試験が難しい大学なだけはあるのね。設備が立派だわ。

でも野球は早稲田のほうが強いわウフ(´∀`*)
わたし森林浴の気分、息子の野球より広々とした戸外の空間で木々と緑を楽しみたい。

\(◎o◎)/!高校の頃と何という変わりよう。
早慶戦

早慶戦の息子。東京大学検見川総合運動場。
痩せる体質で高校球児の頃より一段細い。
だんだん野球のユニフォームが似合わなくなってきている。

だがほんと、総合大学はいいものだ。
わたし、この時の試合の経過すらもう覚えていなくてって。(高校の頃とはなんという違い)
だけど、総合優勝は確かに息子所属する早稲田大学。





だがよく覚えているのは、早慶戦が行われた日、早慶合同のコンパがあった。

なんだそれは?と、思いました。だが、慶應の方にも横浜緑ヶ丘高校の頃のチームメイトがいる。
そのように早慶に別れた高校時代のチームメイトは多く、お友達同士なのだ。

そしてこの日、うちの息子間違えてお友達の分のユニフォームまで持って帰ってきた。
なのでわたしふたり分の理工硬式野球部仕様の早稲田のユニフォーム洗濯いたしました。

だが、このノリではわたしの野球ロスはまだまだ続きそう・゜・(ノД`)・゜・