20th Anniversary号 横浜アリーナ発未来行き乗船券

2007年8月7日息子成人。
この日より、息子はわたしの管轄を離れ自己責任で生きてゆく。

翌年1月うちに来たのは20th Anniversary号 横浜アリーナ発未来行き乗船券は横浜市成人式の入場券で息子は午前の部だった。
少子化とはいえ横浜市は人数多いので午前、午後に分かれて成人式は行われる。

だが、うちは男の子女の子のように結髪、化粧、着付けで大騒ぎすることはない。
時々思うのは男ってそれで生きてて楽しいか?と、心配になるが、それはわたしに性同一性障害のケがないからだ。

町内会からもお祝いの金一封が出て、社会保険庁までうちの子供の誕生日覚えてくれていて国民年金払えと、祝福してくれました。
それについては現在学生で所得がない。もしくはアルバイト程度なので今は払えないのお断りを入れ(らしい。交渉は本人がした。)ました。

このように世の中はよってたかってわたしにとっては子供に過ぎない息子を20歳になった途端に大人扱いするのです。

それに、大学の入学式はわたしだって出席したけど成人式は普通親は行かない。

なんで子供って大人になってしまうのだろう?
当たり前なのに、不思議な感覚。




早く大人になってくれ!と、思ったことだって1度や2度じゃないはずなのに、、。
こうも社会が大人扱いしてくれるといつまでも小さな男の子でいて欲しい気がする。

つまりは成人して欲しい事象が満足してしまった今、子供でいて欲しい事象が不満なのだ。

楽しかった20年間。
だが、うちはまだ息子は家にいて家から大学に通っているがもうとっくに家から出て一人暮らしや寮生活している子だっているのだ。

だが、この時期、野球ロスに加えて空の巣症候群にも悩まされた何となくメゲていた時期。

あの日に戻りたい。
戻りたくても戻れない。新たな生きがい探しをしなくてはならない。





予備校の日々

2006年4月、息子は予備校生となり日々横浜にある予備校に通った。

わたし急にやることがなくなった(><)と、思いきやとんでもないやることがこの時期はあった。
家の建て直し。

息子が受かった大学に行く。
と、宣言して浪人するのは想定外だったので話を進めてしまっていた。

それなので、一時的に高校により近い場所に転居し、家の建て替えという大仕事に従事はしたが、信じられないくらい息子のこととの関わりはなくなった。

予備校にわたしが講義見学や、施設見物に行く訳もなく、お弁当作りもしなくなった。

息子は毎日関心に予備校に通う。
私服を買いに行くこともあったが当然わたしなんかと同伴しない。

いくら家問題に関心が行っているとはいえ、野球ロスには苦しめられて本当に急にやることがなくなった感じ。

だが、この頃はうちには犬がいた。
この犬については犬物語に述べられているが、犬の散歩は高校に行ったヽ(´ー`)ノ イッチャッタ

そう、犬の散歩にかこつけて懐かしい横浜緑ヶ丘高校のあるときは周りをぐるっと回り、あるときは犬を連れて門の中に入り込んだ。

予備校には部活ないもんな。

来年はどうなっているのか?
大学生になれるのか?

どこかしら受かるだろうが野球部には入るのだろうか?
大学の部活こそ親が面倒みるのだろうか?

それでも季節は巡り夏になる。

また夏の大会が始まる。
わたし、ちゃんと開会式に行きましたよ。ハマスタの近くに住んでて良かった。

息子たちは大学生も予備校生も1番若いOBとして、そしてわたしたちは去年の球児ママとして、夏の大会応援に行きました。

7月12日、場所は秦野球場対戦相手は厚木北高校。
勝ちました。

勝ちましたけど、、。
もう息子は現役じゃない。

ということは、わたしたちも世話をするわけじゃない。

実はこのあと、大学受験は呆気ない結末迎え、わたしは息子の高校野球から派生した生きがいを見つけるのですが、2006年野球ロスと空の巣症候群に苦しめられた幕開けであった。





運動会

わたしは息子の運動会は保育園は言うに及ばす、小学校から高校3年まで欠かさず見に行っている。

とうとう夏が終わり、息子高校球児を引退し自動的にわたしも球児ママを引退した秋の運動会も見物に行った。

うちの子はとにかく運動会が好きで保育園児だった頃から保育園の運動会だけじゃ飽き足らず、保育園児でも参加させてもらえる町内会や小学校の運動会は必ず参加した。

もっと出ると言って泣いて困った。

子供というのは運動会が好きなものだ。
と、勝手に解釈したこともあるけれど、そんな訳はないだろう。

もっとも運動会も徐々に進歩する。
小学校のように教師が引率して全校児童がダンスや徒競走、競技を披露するのとは中学、高校と年齢が加算されるの連れ変貌する。

息子の自慢は小1から高3までずっとリレーの選手を務めたこと。
だが、児童の走行タイムを計測して選手選抜をする小学校とはだんだん趣が異なってくる。

とりわけ高校はタイム測定して速い子が選ばれるわけじゃなく、本人の志願だと、、。
運動会大好き少年の息子、当然高校1年からリレーの選手を志願していた。

球児を引退した後の3年生でもだ。

高校の運動会、運動会が行なわれているグラウンドの模様はどこ吹く風。
知らぬ顔して日陰で本読んでる生徒もいれば、グラウンドの向こう側でテニスしている生徒もいる。

もちろん、うちの息子は張り切って運動会の中心選手となっている。

わたし、この2年半ですっかり仲良くなったママ友たちと3年運動会は見物。
保護者席はちゃんと設けられている。

だが、息子たち張り切りはするものの、もー足が出てないじゃないか?
あの夏の輝きはどこへ行ったのだ!

それも仕方ないか、、(;_;)息子は引退後、流石の受験マニア指定校推薦は逃したものだから受験勉強に関心に専念している。
私服も買ってやった。

普通、引退するとサイズが変わる。
というのは太る。を意味していると思われるが、息子驚異的な痩せ体質。
引退して痩せた。

だが、日々汗まみれになって練習していた日は遠い。
先生に3ヶ月でこれだけ動けなくなるものでしょうか?
と、質問したら。
動けなくなるものだ。ということ。

夏の輝きは遠く、高校球児だった日々は2度と戻ってこない。

で、大学というのは運動会があるのだろうか?
総合大学ならばきっとあるのだろうが、親が見に行くものなのか?

野球部はどうなのか?
大学の野球部って、親が面倒を見るのだろうか?

息子、球児引退で急にやることがなくなり、野球ロスとなり空の巣症候群に悩まされる。

あの日に戻りたい・゜・(ノД`)・゜・

お礼参り

夏は終わった。
普通はこれからが夏本番だけれど、7月23日をもって横浜緑ヶ丘高校硬式野球部58期生の夏は終わったのです。

息子たちはもう早速、受験モード。

この8月は野球部の合宿ももう無い。
高校球児生活から永遠の別れを告げたのです。

県立進学校ながらもベスト16まで勝ち抜いた息子たちは立派だった。

あと5人くらい男の子生んでおけば良かった(><)

わたしは日々の泥まみれの練習着やユニホームの山の洗濯から解放され、もう体重を増やす必要もなくなった。
そして、これから土曜日曜祭日、わたし何して過ごせばいいの?

まずは2年半近く、ほとんど着なかった私服を少し買ってやろう。
少し、なのは高校卒業すれば私服で過ごすのが普通なのでたくさん買ってやりたいのだが、引退するとサイズが変わる。

したがって、サイズが変わるのを見極めてから本気になって私服を買ったほうがいい。
そして、髪を伸ばした。

うちの息子は色が白いほうではないながらもターンオーバー過ぎるとふた色くらいは白くなった。

地が色の白い子はターンオーバーで抜けるような色白になってしまって、、。
若いっていいな(^_^;)

わたしはもとの地色に戻すには時間かかりそうだなー(・。・)

もっともケアのおかげで、日焼けはしたもののシミしわは避けられました。

夏の終わりにわたしたち球児ママの最後の仕事はお礼参り。
再度、鶴岡八幡宮に詣でておかげさまで第5戦まで勝ち進めました。
の報告をいたします。

既に受験勉強を始めている息子たち、次のステージは大学受験。
中にはほとんど、指定校推薦の条件満たしている子は推薦で大学進学できるが、、(野球部にも指定校推薦で大学進学した生徒はおりました。)

息子、見事に指定校推薦は逃しています。
そして、あの人受験マニアだったんだ。

また、受験の日々が始まる、、。

そのように、息子たちは受験に向けて勉強に没頭、今まで勉強しなかった分を取り戻しておりました。

なので、お礼参りはわたしたち球児ママたちの仕事。
鶴岡八幡宮で勝ち進めたお礼をして、みんなでお食事に参ります。

ママ友って普通、子供が小さい頃同じくらいの年頃の子供の母親友達の意味だけれど、球児ママ友は不思議不思議、子供高校生、それも雲つくような大男多数。

なのです。
それくらいみんな親しくなるのです。

楽しかった2年半語り合います。

中には下の子が引き続き高校球児というママもいて、いいな~。
本当にわたし、あと何人か男の子生んどけば良かった。

今からじゃ遅いか?
多分遅いだろうなε=(・д・`*)ハァ…

これから立派な空の巣症候群の日々が始まる。
あるいは野球ロスとも言う。