文化祭

文化祭、緑高祭はうちの息子が在学していた頃は7月の第1土曜日、日曜日に行われておりました。

文化祭!それに関わっていた時期が遥か古の昔になろうともワクワクしてくる催しです。

もちろん当事者である息子も何週間も前から興奮しておりました。

1年生の頃はたしか正門のところのアーケード作り、高校生ともなると立派な建造物を制作するものです。

2年ではなにやったか記憶定かじゃないのですが、毎年カラオケ大会には出ていましたね。これは中庭で開催しておりました。

高校に入学した頃は野球より歌を習いに行くんじゃないかと思ったくらいですから。

体育館ではお芝居やバンド、チアリーディング部のパフォーマンス。

作品展示にお化け屋敷。

模擬店では文化祭仕様の料理。金券を買って引換えてもらいます。

高校生ともなれば何やっても上手。

青春の熱気が普段以上に学校全体を包み込んでいる。

そしてなにより、野球部はグラウンドで3年生は最後となる練習試合。

相手は翠嵐高校。

私、もちろん文化祭見物もいたしましたが、グラウンド後方の簡易スタンド(折りたたみの椅子並べただけだけど。)テニス部のコートの程近くで観戦いたしました。

ええーー!もしかして?次の練習試合からはうちの息子たちは最上級生!?
そしてわたしとここ1年半で野球部ママ友となったお母さんたちが千羽鶴作りや合宿の面倒を見るの?

なんだか世の中の色が変わって見えてきた息子高校2年の緑高祭であった。

校歌の練習

2004年度はどうかな?
桜の季節を迎え2年生になった。

春の大会はまだベンチ入りはできなかったけれど、2年になってまたもや父母会からのお誘い。

わたし野球部ママ友も出来て、すっかり学校ともおなじみになって出席。

そこでそうよ。
来年には、いえ夏の大会が終わればわたしたちが最上級生となるので中心グラウンドママとなる!

えええーーΣ(゚д゚lll)そんな!早くないか?

つい最近まで最上級生になるのは遥か未来に感じてたのに、、。

いや高校時代は全日制普通科は文字通り普通3年。

部活の期間は2年と4,5ヶ月もう3分の1以上過ぎてしまっている。
グラウンドママでいられる時期はあと1年と夏の大会で敗退するまで、、、。

千羽鶴を作るのも今回入れて2回。
短い。高校球児の母時代のなんと短いことよ。

もー、あと2、3人高校球児になりそうな男の子産んでおけばよかった。

6月になれば息子たちは校歌の練習が始まる。

あの甲子園大会で勝ったほうのチームが斉唱するように、神奈川県大会も勝った学校は歌う(そうだ。)

なんだか、早く夏になって欲しいような。
時間を引き止めておきたいような。

複雑な気持ちの2年生一学期であった。

高校生の頃はこんなバッティンググローブ使ってた。

もちろんこのような白手袋状態は長くは続かない。
このようなモノ使ってたって、高校野球やってた頃は手のひら肉刺だらけ。

また、コレよくユニフォームや練習着のポケットに入ってたので洗濯機で洗ってしまった。

普通は洗濯しないらしい。
でも洗濯したくなるくらい汚れる。

泥砂はもとより野球というのはすべり止め使う。

こんなやつがうちは今でもある。

これはスプレー式。
バットに吹き付けるやつ。バッティンググローブは多分これの松脂成分?!汚れる。


桜の季節再び

冬のあいだ、うちの近所の根岸森林公園の横から、中区周遊コースを8キロばかり走っていた息子とそのチームメイトたち。
よく、8キロも走っていたって!

わたしだったら1キロだって走れないだろうが!と、長距離走るのが嫌いなわたしは深く感銘を受けたのだが、、。

そのようにして春の訪れを待っていた。

春とはいえ{{ (>_<) }}寒い春の大会、まだベンチには入れないにしても4月には2年生。 高校生になって再度桜の季節がやってきた。 横浜緑ヶ丘高校の桜は美しい。 高校生たちの若い気のオーラで桜の木が活性化しているに違いない。 2年になってクラス替え、そろそろ進路指導の話で学校に来ることもあるであろう。 が、わたしは部活の様子見学に繁く学校にやってきていた。 新入生が野球部にも入ってきた。 初々しい。そこにいくとうちの子1年の間に少しは擦れてきたかな? 練習着も野球用具も使い込まれてきた(*∩∀∩*)ワクワク♪ボロくもなってきた。 1年生はうちとは違ってピカピカの真白い練習着を着ている。 これ、背中と胸に名前を入れる。 うちはマジックで書いたけれど、それもキビシイ洗濯で薄れ消えかけ白から茶色に字の色が進化する過程で色の境界が曖昧になってきてる。 (。-_-。)再度太めの油性マジックで書かなければならない。 書かれた字は曖昧でももうみんなうちの子の名前は覚えているだろうが、着替えの時誰のモノかわからなくなる危険性がある。 最近は名前入れのサービスが行われている。 このように名入れをする。

練習はこの練習着で行って、試合のときは学校のユニフォームで試合する。
大会のときは背番号を縫い付ける。

次の夏の大会こそ背番号もらってきておくれ。
この1年わたしもたくさんのことを学習した。

洗濯とご飯作りこそわたしはしたが、息子は野球用具の手入れはよくしていた。
スパイクに補強ガードをつけて(これは例の野球用品のお店に頼むらしい。)泥を叩き落として廃棄決定した裂いたシャツで拭いて手入れしていた。(詳しくはよくわからない。)

↑これ、底にピンのついた靴とわたしは呼んでいた。

桜の花の中で進級して、2年生になってなんだか急に先が見えてきた気分。
そしてとうとう高校野球に完璧にハマってしまったわたし。

もうすぐ二年生

横浜港の汽笛とともに開けた2004年、年明けとともにまだまだ冬は続くがそれでも春が近づいた気分になる。
2月になれば、練習試合解禁ももうすぐ。

春の大会はどうかな?

1年2年のつなぎ時期の春の大会には残念まだ、力不足。
ベンチには入れなかった。

春の大会の予選は会場となる高校のグラウンドで行う。

そして春とはいえ寒い{{ (>_<) }} 使い捨てカイロと防寒着は必要となる。 更に、夏の大会のように一人前のスタジアムで行うわけではないので会場で何かしら売ってるわけではない。 当たり前だが、売り子が「温かいお茶いかがですか~。」と、やってきてはくれない。 模擬店でうどんを売っているわけもない。 探せばそのへんに自販機くらい、さらに店のひとつやふたつ学校周辺にあるだろうが準備は怠りなくしたほうが良い。 ちょっとやそっと(大雨が降れば雨天順延になるけど)の雨じゃ試合する。 だからといって体育館に移動して試合はしない。 グラウンドで試合する。 春の大会よくよく気温上昇のサインが気象庁から出ていない限り寒さ対策は必至。

息子たちはこのような中着を着て練習及び試合をする。
観戦する方だってこのような中着は着た方が良い。

いつぞやは3月の試合でわたしは低体温症になったんじゃないか?
ってくらい震えて、1週間くらい寒気が収まらないことがあった。

完璧春の試合の寒さ対策の失敗。
ヒートテック下着、カイロ、大きめのマフラー、ホット缶コーヒーが必要であった。

真冬用のブーツ、アメリカ製完全防寒ジャケットだけ出かけたのが甘かった。
春の大会の寒さを舐めてはいけない。

ついでに腰が冷えるので携帯用クッション↓を使う。

それとひざ掛け。

わたしはこんな感じのひざ掛けを愛用。↑

そして、春の兆しが来る頃には息子はこのように入学時にはピカピカで背中と胸に名前を書いて着ていた練習着も、わたしの懸命な洗濯活動にも関わらず、全体にベージュからうす茶色に移行し毛羽立ちくたびれてきたのです。

年明け

2004年、横浜港に停泊している船舶の汽笛とともに明けた。
いい年になっておくれ!

2003年散々だったのは、息子でなくわたしでこのブログの犬シリーズに出てくる駄犬の散歩していてわたしあるアクシデントで右手中指第一関節の腱を切ってしまい、例のハマスタ近くの大病院で腱繋ぎの手術受けたのです。

手術したからといってすぐ治るわけじゃなく、腱がくっつくまで固定して包帯まいて左手で息子のユニフォームの洗濯をしていました。

この時期はあの病院には本当によく通ってお世話になりました。

中指回復の年明けの頃、あと何日かでまた練習の日々が始まる。

そして試合解禁になって2年生になったら、、。

息子公式戦に出られるのかしらん?
そしてレギュラーになれるのか?

それまでは全く考えたことなかった。

子供野球ではけっこう早くから中心選手にさせてもらっていたし、中学でも試合に出るのは当たり前だと思っていた。

だが、高校生になったら微妙にイヤ全然違う( ゚д゚ )
何が違うかって、エースで4番みたいな子ばっかりなのだ。

これは今までのようなワケにはいかない。

だってここ進学校なんでしょ?!
って、言ったからって、進学校だってそうなんだって。

のんびり正月休みを楽しんでる場合じゃない。
息子よ。頑張るのだ。

横浜緑ケ丘高校野球部の星となるのだ☆彡

と、このように2004年年明けには、2003年春には野球部はキツイから、とか汚れるからとか言ってやる気のなかったわたしが完璧欲が出てきてしまったのであった。


冬のお休み

クリスマス寒波がやってくる。
年末年始は野球部の練習も休みとなる。

この頃のクリスマスわたしは大きなゴールドクレストを買った。
クリスマスプレゼントのつもり、クリスマスシーズンはまだ練習お休みじゃなかった気がする。

ライトアップもした。

練習はして家近くを走っていても、相変わらず体重増加のための大量食料買出しと調理して洗濯していても冬はやはり夏の輝きはない。

年明けて3月になれば、公式戦も練習試合も解禁になる。
早く3月になあれ。

そして4月には新入生が入ってくる。
息子にも後輩が出来る。

なんだか突然、時間が駆け出し始めた。
あまり暑くもなく、わたし的にはなんとなく終わってしまった2003年夏。
2004年どんな年になるかな?

季節は音もなく秋から冬に移ろう。
12月上旬の南関東の街は紅と黄金に満ち溢れる。

この時期に高校野球、練習試合も公式戦も行われない、、。(と、思う。)

わたしの記憶がさだかならばそうだ。そうだったと思うが今は違うかも知れない。

今度息子が帰省した時に聞いてみる。

12月も末頃には紅葉した落葉樹は葉を落とす。

寒い{{ (>_<) }}冬がやってくる。 だが、息子たち寒さなんかにメゲずに3月(多分)の試合解禁目指して練習を続けている。 野球って原則外でプレーするんだから夏より冬のほうが辛いだろう。 わたしは暑さには強いが{{ (>_<) }}寒いほうが苦手。 生活全般がそうなんだけれど、冬は夏場必要なかったグッズがまた一山入用となる。 ↓このような手袋。

このタイプの手袋は小学生の頃冬の練習にしていった。
何故か高校生となってからは不思議なことに軍手を愛用し、この手袋の大人用は買わなかった。
買ってやったのに!

だがこの手袋は非常に非常に重宝し、文字どうり手袋が息子の手に負えなくなってから?

つまりはいくら伸縮性が良くてもうちの子手が大きいものでジュニア用では間に合わなくなった。

あら残念、なのでこの手袋その後永きにわたってわたしが使用した。

わたしの手はピアニストとしても女性としても小さめなのでジュニア用で間に合う。

冬の犬の散歩に使った。もこもこゴロゴロしなくてそれでいて伸縮性があってスグレモノ。
手のひらに滑り止めがついているのも犬リード掴むの滑らなくて良かった。

少しくらい糸がほつれても使っていた。
が、しまいにはとうとうボロボロになったので捨てました。
いったい何年使ったか?10年近く使ったんじゃないか?

冬中使ったのが、そしてカイロ。
大箱買ってもすぐになくなった。
それは、使うのは息子一人ではなく練習見物に出かけたわたしも大量に使ったから。

冬場うちは常時このようなカイロがあった。

ウィンドブレーカーも持ってたな。

冬のあいだは息子たちは走っていた。
本牧緑ケ丘から聖光学院の横を抜け根岸森林公園の横を走る。
このポイントでわたしは見物をする。

時には犬を連れ、時にはその後買い物をする。

根岸森林公園から山元町の商店街を抜け、山手町の高級住宅地を走る。

海を望む美しい邸宅の並ぶ道を下ると山手警察のあたりに出る。
そこから本牧原を間門目掛けて走って間門のへんに着くと丘(山)を登れば横浜緑ケ丘高校到着。

ご苦労であった。
わたしは地元なのでほぼこの走行コース把握しているけれど、例によって全て坂まるけ。
歩くのだってこの距離、この坂、大運動会になってしまう。

長い冬が終わって4月になれば新入生が入ってくる。

来年、公式戦に出られますように(祈り)

「野球ギア.JP」商品購入プロモーション

整形外科

またまた初めての秋の大会が始まる。
だが、まだ息子はベンチに入れない。

わたし的にはここまでたどり着くまでに未知との遭遇目白押しであった。

大会にしたってまだ息子は出場選手ではない。

公式戦に出られる選手になって欲しい。とは、思ったが3年生になるのは遠い将来のこと。
くらいにしか考えていなかった。

なので、1年秋の大会については全く記憶になし。
あるのは息子はベンチ入りしていないこと。

そしてこの頃、マトモな外傷とか無理からくる過労とかでない病院行きが始まった。

怪我に入るのか入らないのか?痛みが出た。

整形外科に行った。診察してもらったら野球やめれば治る。と、言われたとか、、。
まぁ、そりゃそうだろう。アタリだ。

だが整形外科に行って言われることか(゚Д゚)ノとも思う。

なのでスポーツ整形なるところを探し出して(ここは車で送り迎えしなきゃ通い困難だったので車出してやった。)診察受けるも混んでる(><)

こうもいたるところが痛むのは良くないのでは?野球部やめるか?
イヤ(キッパリ)それはダメ。

やっと掴んだ高校球児の母の座!明け渡してなるものか( ̄∀ ̄)

最初文句言ったのにすっかりハマってしまったわたし。

しまいにそんなのバンテリン塗ってりゃ治る!と、ランボーなこと言ってしまった。

これ、わたしも使っている。

この経験からか息子はテーピングするのが上手だ。
わたしは左足首を若い頃何度か捻挫して時々痛くなる。

普段はとにかく趣味のバレエの稽古の時、息子教わってテーピングしている。

今でこそ在庫がだいぶ少なくなってきたが、最盛期にはこれくらい色んな幅のテープが家にはあった。

秋の大会が終われば冬になる。

冬になれば練習試合もなくなるそうだ。
だが、練習は続く。
冬の練習は家の近くの道を何キロも走る。

見に行かなければ。

指定校推薦を逃す!!

高校球児となった息子は暑さに強く体は頑丈にできている。
そうじゃなきゃあの炎天下での練習や試合は無理であろう。

この頑健な体質はわたしに似た。ついでに痩せる体質もだ。

ただし人の体。壊れるときは壊れる。
横浜緑ヶ丘高校、野球強豪校ではなくて進学校であるので試験前の部活は休みとなる。

したがって常日頃は泥まみれにになって日没後帰ってくるものが試験前には早めに帰ってくる。

帰宅部の生徒だと日常がこんなものか。
だがだが、その試験前息子は∑(・∀・) コワレタ !!

朝起きられないほど気分が悪いと、、、。
そりゃ入学から入部、夏の大会に合宿、全て張り切りすぎたツケだと思うよ。

だが、試験までにはなんとか治してしまわないと。
わたしたちは本牧のかかりつけ医院に向かったのです。

診察の結果特に悪いところないそうです。
疲労からくる体調不良、それにしても随分ハデな体調不良だと思う。

点滴受けて(流石に学校に行くとは言わなかった。)薬局で薬もらって脱水症状にならぬよう↓このような水をしこたま仕入れました。

回復はしていったもの絶不調でロクに勉強せぬまま受けた試験は惨憺たる出来だったらしく。

これで指定校推薦逃した(><)
指定校推薦とは真面目に学校に通って良い成績の子は受験しなくても大学に入学出来るシステムのこと。

そっか、部活のほう休まなくて良かったヾ(*´∀`*)ノってものでもないか。

もー、塾も新たに決まったというのに。
また
2年半後受験かよ┐(´∀`)┌ヤレヤレ

とにかく、これに懲りて体力の過信はしないように自己管理に励むのだ。

もうすぐ秋の大会。

夏休みの合宿

2003年の夏は終わった。
そう3年生にとっては、これから受験の日々が始まり高校野球に別れを告げる。

だが当時1年生だったうちの息子の夏はまだまだ、続く。
夏の大会の後は合宿がある。

さあて夏の合宿何処に行くのかな?
旅立ちの準備は自分で出来るだろうが手伝ってやらなければ。

バスタオルを多めに持たせたほうがいいかもしれない。

だが、合宿仕度は心配しなくても良い。って、大人になったものだわ!
だって学校に泊まるんだから、、。

ガッコーΣ(´∀`;)清里とかに行くんじゃないのか?
そりゃ学校ならば支度はテキトーでいいだろう。
足りないもの発見したらわたしに持ってこさせりゃいいんだから、、。

だがだが、学校のどこに泊まってお風呂はどうするのだろう?

あの学校見かけによらず宿泊設備や入浴出来る設備があるのか?

布団はちゃんと用意してもらうから問題ない。と。
で、お風呂は大和町か間門の銭湯に行く。って。

その銭湯両方とも、廃業銭湯の多い中で元気に2016年のいまも営業してますぜ。
夏になったら横浜緑ヶ丘高校の野球部の生徒今でもやってくるのかしら?

そして是非とも必要なモノは花火。

花火!!((((;゚Д゚))))何しに合宿に行くの?
練習するんでしょう。遊びにいくんじゃないでしょう!

だって、照明設備ないんだから夜は練習出来ないから。

はぁ~ε=(・д・`*)ハァ…
で、母親たちからの差し入れがあるが、それは2年の保護者の仕事。
わたしは花火代と合宿代出してくれればいい。って。

1年生の夏息子は楽しい楽しい合宿へ、旅立ちというほどのものではなく、平常どおり本牧緑ヶ丘へと出かけて行ったのです。