平塚球場再び

2013年春。
息子、高校入学からちょうど10年、息子の野球は今や草野球。
それも1年に何度も試合はしない。

未だ野球ロスに苦しんでいたわたしだが、素晴らしいこと思いついた。
息子の代えを探そう。

息子同期で野球続けている主だった選手は今やプロ。
そうよ。神奈川高校球児とか(残念!横浜緑ヶ丘高校OBはプロ選手ゼロ)大学の同期とかその前後とか、、。

なんという天才的な思いつき(´∀`*)
では早速調査開始。

調査したところ、多少なりとも縁やゆかりのある選手は埼玉西武ライオンズに多く在籍していることが判明。




ななんと、西武ライオンズかいな(゚д゚lll)
ここならわたし息子がまだこの世に存在していなかった若かりし頃、そうあのドームに屋根がまだ付いていなかった頃。
追っかけしたことあるじゃあないか懐かしや。

だが、本拠地は所沢とおーいo(TヘTo)
うちから何時間かかるんだ!

だが、更に調査をすすめると、、。
息子と多少はゆかりある選手。みんな二軍にいる。

二軍戦て、一般入場者アリなの?(2013年当時はそれくらいのノリだった。)
だが、二軍はイースタンリーグ、関東地方でやってる。

Denaとどこで試合してるか?
横須賀スタジアムででも、平塚球場でも試合あるじゃないか?

行くんだ!
そこでわたし、ママ友に電話。プロ野球の二軍戦横須賀でやってるから観に行こう。

OK、してくれたものの横須賀スタジアムの試合は雨で流れた(;_;)
翌日は平塚、さあ、平塚球場再び行くわよ(*´∀`*)

そこで再度ママ友にtellするものの、習いごとがあるから無理。
習い事と野球とどっちが大事なの?!(`・ω・´)

でも多分習い事のほうが大事なんだろうな。
みんなもう息子の野球からは卒業して新たな生きがい探し当てたのかしら?

でも?!どうする。
いいわ(^-^)ひとりで行く。

息子たち、高校球児最後の試合となった舞台平塚球場へ、再び。わたしひとりで出かけよう。





大学卒業

2011年東日本大震災の年の9月、とうとう息子は大学卒業(祝´∀`)ノ.+:。卒業おめでとー。
諸事情で半年遅れの卒業となったが、半年だって学費払うのはわたし、、。

かなわない(;_;)5年生になんてならないでくれ!
だが、既に大人の息子4年生以降は残ってる単位(なによそれ?)によって授業料が決まるのでそんなに学費高くない。

この辺は総合大学卒業してないわたしは弱い。

正確にはいくらなんだ?なので大学に☎すると引き落としになる正確な金額教えてくれた。
もう野球部は引退してるんだから、これ以上大学生でいてくれてもわたし的にはメリットがない(ひどく利己的だけど)早く卒業してくれ。

だがまぁ、半年の希望留年3月は震災で東日本大変な時期だった。
でもうちは秋の卒業だったのでわたしはちゃんと卒業式にも出席しました。

ついでに息子に学帽と学生服用のボタン、政治経済学部の襟章買わされました。
卒業記念です。

何故か、息子家にある高校時代の学生服のボタン付け替え、ただ袖のボタンは縫い付け式だったので諦めていた。
なので、うちには前ボタン早稲田大学、袖ボタン横浜緑ヶ丘高校の学生服がどこかに今でもあるはず。





大学卒業してくれた。
院に進学する。だなんて言わないでくれたのでこれでもう永遠学費は払わなくてすむ。

明日から、社会人。
になってくれれば、もっとホットしたのだろうが、この時点ではそうはいかなかった┐(´д`)┌ヤレヤレ

進学塾の講師しながら芸能活動始める!
あのなーー!とはいえ、そもそも高校入学時点で野球より芸能活動推奨したのはほかならぬわたし。

ここより、息子の野球は完璧に草野球となりわたしは応援を断念したので息子の野球についてはこの章で終わり。
だが、この息子の現在は5年の芸能活動の末、いくつかの舞台務めて引退(今は卒業というそうだ。)全国紙の新聞社に入社して新聞記者をやっている。

わたしは野球ロスから立ち直ったかというと、一時はそれはそれはひどく落ち込んだ。
バカが(^O^)と、思いますがねー。

そんな失意の日々から、それでも立ち直るきっかけはやってくる。
息子と時代を共にした神奈川高校球児、そして大学の同期生とその前後。
神奈川高校球児はとにかく、大学国公立じゃなくて良かったな。臙脂のW野球強いもんな。

プロに行ってる選手が何人もいる。
そうよ(*´∀`*)息子の代わりを探そう。

息子大学を卒業する。の頃より、わたしの代理息子探しが始まった。




引退 とうとう息子が選手じゃなくなった(T▽T)

思ったより早くそれはやってきた。
東京六大学理工系野球リーグ、3年生で引退なんだってΣ(゚д゚lll)

待てよ。あと1年は続くと、、いやあと半年は続いてくれると思ったのにもう引退かo(TヘTo)
いよいよ、わたしも息子の野球の追っかけは終わりのを迎える。

2005年7月23日息子高校球児最後の日から約4年半、本気の野球ロス。
息子が選手じゃなくなった(T▽T)

これからどうする?って、言ってもそれはもう野球部はヤメにして社会人になるべく活動をする。
そして大学卒業の暁には一人前の社会人となる。

と、なればこれまでの息子への掛かりは零となる。ははは(@^▽^@)、、、。
と、ばかり言ってられない。
わたしは何をして過ごせばいいのだ。

それは過ごしようはいくらでもある。
日々、家事に精を出す、趣味に生きる(だからその趣味を何処から持ってくるんだ、、。)仕事を見つけて働く。
だが、どれも高校野球やっていた頃の熱狂と存在証明は生じそうもない。

それでも選手と名のつくものであってくれた頃は良かったけど。
新たな生きがい探しをしなければ。

早々に追い出しコンパがあるらしい、、。
もっともほとんどの学生が理工学部なので院に進学する学生も多いみたい。

この頃はもう息子も大人酒飲んで夜遊びしていても補導される心配はない。



だが、この東京六大学理工系野球を引退した後幾歳月か、わたしはわたしでとんでもないシチュエーションで生きがい見つけをするのだが、この頃はまだ闇の中。
息子卒業してどこに就職するのか?

いよいよ家を出て行ってしまうのだろうか?

だが、結果から言うと息子就職するのは卒業より5年遅れ、それまではなかなか興味深い活動をしていて、わたしはわたしでその途上で探していた生きがいを見つけた(^-^)





20th Anniversary号 横浜アリーナ発未来行き乗船券

2007年8月7日息子成人。
この日より、息子はわたしの管轄を離れ自己責任で生きてゆく。

翌年1月うちに来たのは20th Anniversary号 横浜アリーナ発未来行き乗船券は横浜市成人式の入場券で息子は午前の部だった。
少子化とはいえ横浜市は人数多いので午前、午後に分かれて成人式は行われる。

だが、うちは男の子女の子のように結髪、化粧、着付けで大騒ぎすることはない。
時々思うのは男ってそれで生きてて楽しいか?と、心配になるが、それはわたしに性同一性障害のケがないからだ。

町内会からもお祝いの金一封が出て、社会保険庁までうちの子供の誕生日覚えてくれていて国民年金払えと、祝福してくれました。
それについては現在学生で所得がない。もしくはアルバイト程度なので今は払えないのお断りを入れ(らしい。交渉は本人がした。)ました。

このように世の中はよってたかってわたしにとっては子供に過ぎない息子を20歳になった途端に大人扱いするのです。

それに、大学の入学式はわたしだって出席したけど成人式は普通親は行かない。

なんで子供って大人になってしまうのだろう?
当たり前なのに、不思議な感覚。




早く大人になってくれ!と、思ったことだって1度や2度じゃないはずなのに、、。
こうも社会が大人扱いしてくれるといつまでも小さな男の子でいて欲しい気がする。

つまりは成人して欲しい事象が満足してしまった今、子供でいて欲しい事象が不満なのだ。

楽しかった20年間。
だが、うちはまだ息子は家にいて家から大学に通っているがもうとっくに家から出て一人暮らしや寮生活している子だっているのだ。

だが、この時期、野球ロスに加えて空の巣症候群にも悩まされた何となくメゲていた時期。

あの日に戻りたい。
戻りたくても戻れない。新たな生きがい探しをしなくてはならない。





早慶戦

息子長年の夢だった早慶戦に出場。
とはいえ、神宮ではなく、東大検見川グラウンド。
そしてわたしは高校生の頃のように飲み物を用意したり、旗を運んだりしない。

六大学野球とはいえ理工系リーグの試合には、チアリーダーも吹奏楽部も応援団も来ない。
そもそも親だってわたしくらいしか来ない。

だが、良いわ。理工系リーグとはいえ東京六大学野球は東京六大学野球、そして早慶戦。

試合会場の東京大学検見川総合運動場、千葉県にあるのでややうちからは遠い。
もっともあの小田原球場のこと考えればアクセスは良し。
そして、めちゃくちゃ広い。

野球場ばかりでない総合運動場というだけあってサッカー場は何面もある。ラグビーもフィールドホッケーも出来る。
ついでにあんまり広くてハイキングまで出来る。(クロスカントリーするそうだ。)

流石に東京大学だわ。日本で1番入学試験が難しい大学なだけはあるのね。設備が立派だわ。

でも野球は早稲田のほうが強いわウフ(´∀`*)
わたし森林浴の気分、息子の野球より広々とした戸外の空間で木々と緑を楽しみたい。

\(◎o◎)/!高校の頃と何という変わりよう。
早慶戦

早慶戦の息子。東京大学検見川総合運動場。
痩せる体質で高校球児の頃より一段細い。
だんだん野球のユニフォームが似合わなくなってきている。

だがほんと、総合大学はいいものだ。
わたし、この時の試合の経過すらもう覚えていなくてって。(高校の頃とはなんという違い)
だけど、総合優勝は確かに息子所属する早稲田大学。





だがよく覚えているのは、早慶戦が行われた日、早慶合同のコンパがあった。

なんだそれは?と、思いました。だが、慶應の方にも横浜緑ヶ丘高校の頃のチームメイトがいる。
そのように早慶に別れた高校時代のチームメイトは多く、お友達同士なのだ。

そしてこの日、うちの息子間違えてお友達の分のユニフォームまで持って帰ってきた。
なのでわたしふたり分の理工硬式野球部仕様の早稲田のユニフォーム洗濯いたしました。

だが、このノリではわたしの野球ロスはまだまだ続きそう・゜・(ノД`)・゜・





麻疹で休講

息子大学生になってから世の中に不穏な動きが出た。
大学で麻疹が流行った。

今どき麻疹が流行するのかいな?それも大学で、、どこの大学よ。
って、息子通う大学本当か?

本当でテレビでも新聞でも騒いでいる。
休講になった。ほー、大学でも学級閉鎖ってあるんだ。

マスコミには、せっかく勉強してきたのに休講になって残念です。という、勉学熱心な学生の声が寄せられていたが、自慢じゃないが我が息子、休講
になったとて残念がるような勉学熱心な学生な筈ない。

だがわたし少しは心配になってもう古びてきた母子健康手帳引っ張り出して、ページを括る。
大丈夫よ。はしかの予防接種はしている。
これで麻疹にかかったら詐欺じゃない。
うちは大丈夫。

と、麻疹の流行を甘く見ていたわたし。





大学休講ながら、息子所用で外出だが、妙に早く帰ってきた。
だるいから病院に行く、そして不気味に顔にブツブツデキものが吹き出てきた。

悪い病気になったんじゃあ?いや、この症状は風疹に違いない。
近所に夕刻に診察する医院があるので行くことにした。

「麻疹じゃないと思うけど、早稲田の学生だって言うのよ。それに麻疹の予防接種は1歳か2歳でしてる。って言うんだよ。」

息子診察を受けに出かける。
帰ってきたところ、やっぱり大学で流行している新種の麻疹だと(><)

そんなー、麻疹の予防接種受けたんだよ。変じゃないか?

15年以上経過してるからもう抗体が切れているそうだ。
予防接種って、そんなものなのか?

だが、この新種の麻疹、伝染力はあってもそれほど強力ではなくてほどなく完治。

新聞に近頃は子供を甘やかすから大学が幼稚園みたいになって、麻疹で休講する。
とか、ありましたが、それとこれは関係ないでしょうが。

だが、近頃は大学でも学級閉鎖がある。

ちなみにわたしは麻疹の予防接種受けていません。
本物にかかりました。

ついでにわたしがかかった病気の中では5歳の時に罹った麻疹が最も重い病気。
いつぞや、健康診断で今まで罹った重い病気を述べよ。
と、言われて5歳で麻疹になりました。

と、胸を張って答えたら病歴ナシに丸つけられました。

その本物の麻疹より大学で流行した麻疹は軽い麻疹ならしく顔面に出来たブツブツも跡形なく消え、大学はいつもの平穏をすぐさま取り戻した。らしい。
もう大学はわたし全然関わらなかったからよくわからないよ。

大学にも父母会があれば楽しいのにo(^o^)o





大学生の運動会

大学生になっても息子は野球を続けた。
神宮は遠かったけれど、これだって東京六大学リーグじゃないか(*´∀`*)

ただ、高校生の頃とは比べ物にならないくらい練習はラク、楽なのはわたしじゃない!
とも言えるけれど、洗濯がラク、お弁当つくりがない。

部員の世話は女子大生がするので親はしない。

そんなある日、息子運動会に出る。
とのこと、そうか!大学でも運動会はあるのか?

見に行くからねヽ(*´∀`)ノ高田馬場でやるのか?東伏見か所沢か?
だが、息子拒否。
理由、だって清里でやる。

清里ってあの清里?山梨県の清里か?
なんでそんなところまで行って運動会やるのよ?
グラウンドなら東伏見にも所沢にもいくらでもあるじゃない。
体育会が貸してくれないならば新宿区の区営グラウンドでも借りりゃいいじゃない。

単なる運動会ではなくて、山登りをして夜はキャンプファイヤーを囲み翌日運動会をして、、。
それで、参加費はいくらいくら、ついてでに理工学部の運動会なんだと。

そして理工学部じゃなくても(息子は政治経済学部)参加出来る。

幼少の砌より運動会が大好きだった息子、運動会ときいて逃す筈はない。
清里で運動会か!いいな。青春してる。

だが、わたし生まれて初めて息子の運動会見物を逃す。
そして清里までの旅費と参加費を渡す。
大学生になって急にいろんなかかりは大きくなった。そりゃ、もう息子は大学生、アルバイトだってしているのだし実入りがないわけじゃない。




だが、大学生になってからは高校生の頃なかった係り多し。
その一つは服飾費、息子はお洒落だ。

だが、高校球児だった頃は髪は五分刈り、制服で通学、遠征の移動で私服着る機会はあまりなかった。
アルバイトで関心に洋服代は賄っていたが、運動会の参加費までは手がまわらない。

なんだか急に世界が異質に見えてきた。この頃。
それもそのはずでこのとき、息子は19歳。

あと数ヶ月で20歳。
20歳になれば、わたしにとってはいつまでも子供でも社会からは大人扱いされる。

大学生になってくれたのは嬉しいけれど、あの頃に戻りたい。
運動会を見に行けて、ママ友と野球の面倒を見ていた頃に戻りたい(´;ω;`)





六大学理工硬式野球リーグ

2007年4月より1年の浪人期間を経て息子無事大学生となる。
はじめて家から遥か彼方の学校まで通う。

だが、とりあえず家から通う。
大学生となれば家から通えない学生だって多い。

つまりは始めて一人暮らしをする。
東京出身のわたしもこれ羨ましかった。
わたしなんて、高校短大キャンパスまで一緒だったのよ。

それは置いといても、さて部活どうする?野球は続けてくれ。やめてしまうのはあまりにも寂しい。

だが、大学は高校までと完璧に違う、いくら入学式にはわたしも行ったとはいえ、担任の先生との面接があるわけじゃない。
授業参観もない。

体育会の保護者会って、あるのかしら?
筑波大学の野球部はあるというウワサ。それ以外は知らない。

高校の頃は出来なかった(横浜緑ヶ丘高校、アルバイトOKです。野球部に入ってるとバイトする暇がなかった。)アルバイトも始めた。

家庭教師や塾の先生のアルバイトも始めた。

そして部活も決めた。
その部活は理工硬式野球部。
六大学リーグだって。
うちは理工学部ではないが、理工学部じゃなくても入れてくれた。

早稲田大学の理工学部はわたしの父親もOB。
幼少の砌はわたし大学というのは利口な子の組とおバカな組に分かれて授業受けるんだ。と、思ってた。

この野球部、保護者会はないそうだ。そうよね。大学生ならば自分の面倒は自分でみるものよね。
だが、どうも部活の面倒は近隣の女子大の学生がみる、、。

なんなのそれ!そんなのアリなの?
とにかく、わたし息子が大学生だろうと社会人だろうと試合は観に行くわ。

張り切るが、大学ではママ友はできそうもない。

また、成り行きでは甲子園が遠かったように、どうも神宮もましてプロも遠い。
だが、いいわ。六大学野球じゃないか。

中学生の頃から東京六大学目指していたんだしね。

試合がある。というので出かけて行ったが、高校の頃と違ってチアもブラスバンドも応援団来てはいない。
そして見物に来ている親だってわたしくらい。
なんでよΣ(゚д゚lll)そっか、大学生って地方出身者多いんだもんね。

理工リーグ公式戦
大学生になりました。
上柚木運動公園球場。

写真の上柚木運動公園は1度か2度行きました。
わたし以外にも、親がいました。

上柚木運動公園より頻繁に行ったのは、東大検見川総合運動場。
ここは素晴らしい運動場でした。

東大には勝ちました。部員数は早稲田のほうがはるかに多い。
だが、東大チーム選手よりマネージャーの女子が多い気がする。

東大の理工学部ってそんなに女子多いのか?
な、訳ないじゃない。

大学生になると高校までみたいに全てが単純じゃなくなるんだわ。





大学入学

呆気ない感じでAO入試が合格してしまった2006年秋だった。
だが、合格☆.。.*・゚☆サクラサク☆゚・*.。.☆した大学は東京六大学でも野球部強豪。

しかも、この年の夏系列高校というか付属高校なのかが甲子園で優勝している。
当然、その野球部員たちと息子は同期生となる。

ああ、横浜緑ヶ丘高校懐かしや。
高校でだったら、レギュラーになれたのに、、。

早々と現役で国公立や私立でも野球部あんまり強くない(失礼!)大学に入学した、横浜緑ヶ丘高校の野球部チームメイトたちは野球部に入って活躍している。

東京大学でなら神宮に出られる。と、画策したわたしであったが、あのように高校時代(いえそれ以前から)勉強よりも部活優先していた者が日本で最も入学試験が難しい大学(だよね。)の入試を突破することができるものか?

センター試験受けに行くか?
センター試験必ず雪が降る。

わたし、AO合格の大学に入学金と授業料前期納付。
とにかく4月からは大学生になれる。

公立進学校や私立中高一貫校のエースや4番が掃いて捨てるほどいる大学だと、、。

わたしが神奈川県大会4戦めの明け方夢で見た。
黄色とピンクの絞りの薔薇。

早稲田大学政治経済学部に入学決定。
この弦薔薇の名前はピース、超大輪で絵でわかるように幸せを運んでくれるような美しさ。
頑丈な品種であまり手をかけなくても大輪の花が四季咲きで咲いてくれる。

まして、5月に咲く花は大輪でもったいないくらい花をつける。

わたしは息子の大学記念植樹にこの苗を植えました。

薔薇植えシロートのわたしでもそれはそれは沢山の美しい花をつけてくれます。

ただし、綺麗な薔薇には棘がある。
花も大きいが棘もそれなりに立派、迂闊に手を出すと痛い目に遭うくらいの猫の爪様の大きな棘が生えてきます。
気をつけましょう。

2007年4月から息子は大学生。
入学式は4月1日。東京都新宿区のお天気は曇り時々晴れ、最高気温22°。
息子にも入学式用のスーツを買って、(AO入試の面接とは別に買った。)わたしはランドマークプラザのピンクハウスに行って、インゲボルグで式典用のスカートとジャケットを買った。

春が来た。
今時は、大学の入学式にも親が行くものよ。
単科大学出身のわたし学生数多い総合大学の入学式に行くわ(*´∀`*)





AO入試

息子、予備校通いで生まれてはじめて定期を使って学校通いする。

しかし、予備校に通ったからって大学に合格する保証ってあるのか?
それに県立高校の授業料と違って予備校の月謝は高価だこと。

しかし高校時代(正確に言えば1年から3年の7月23日まで)野球の練習と試合に明け暮れた日々と一変し、私服を着て再度髪の手入れは美容院にいく。

そして関心に毎日勉強している。エライ(^-^)



予備校生にも夏は巡ってくる。
横浜緑ヶ丘高校の夏の大会には予備校生とその母親のわたしとてママ友たちと観戦したが、、。

来年は大学生になってくれ、そして再度野球やってくれあまりに寂しい。

そうよ。そうだわ(☆∀☆)息子よ東大に言ってくれ(´∀`)
もともと東京六大学希望で神宮でプレーするのが夢だったんじゃないか。

東大ならば息子とてレギュラーになれるに違いない。
息子よ輝く神宮の星となるのだ☆彡

(。-_-。)わたし2003年の春からなんという進歩。

なのでわたし予備校に乗り込み、東大無理ですか?
って、聞いた。

すると予備校の先生。
「文3でよろしければ、、、。」
はあ!文3てなんですか?

偏差値とは縁なき世界で生きてきたわたし今ひとつ、今ふたつよくわからないわ。
良いわ。文3だろうと文4だろうと、目指すは学部じゃない!

野球部だファイト♪。゜+.o((◕ฺ∀ ◕✿ฺ))o

とにかく、大学入試の勉強なんてわたしが指導するのは絶対不可能の世界。
日々、予備校で勉学に励むのだ。

入学試験が終わるその日まで、、。

そのような予備校生生活ある日、息子突然。
練習試合のように本番入試前に練習試験を受けに行く。
と、言い出す。

それは予備校の模擬試験ではなく、本物の?!大学の早期試験(そんなもんがあったのか?)を受けてみる。
それはAO入試という。
そうだ。

問題は筆記に通ったら面接がある。(本当かよ?)
面接の服がないがそれは筆記が通ったら考えよう。

もう高校生じゃないので学生服で面接受けるワケにはいかなしね。
わたしは息子を手伝い一足早い願書制作を手伝い郵便局から郵送した。

突然思い立ったものでギリギリ!
間に合うように届けてくださいね。

そんな経緯で受けたAO入試、筆記試験は見事合格。
次、面接だって。もう高校生じゃないので学生服で行くわけにはいかず、かといって私服は揃えたものの面接に相応しい正装なんて持ってない。
これ機会にブレザー、スラックス、ワイシャツ、ネクタイを揃える。

ついでに、高校野球で頑張りました\(*⌒0⌒)♪
アピールしたのだから髪は短めにカット。

まぁ、試験のウォーミングアップだから。

そして、その郵便物は息子予備校登校中にやってきた。
わたしメールを出す。

返信、中見て!
アララ、☆.。.*・゚☆サクラサク☆゚・*.。.☆
「合格してるよ。」メール。

なんだか、呆気ない結末。
ちゃんと、何月何日までに入学金と前期の授業料払ってください。
の、納付書付き。高価だなー。

いえいえ、公正に物事はみなきゃなりません。予備校だって文系私大だってそう学費高いわけじゃない。
県立高校が安かっただけだ。

何を隠そう、わたしは私立の音大出身だもの、音大こそ授業料高かっただろうな。
だが、大学での野球はどうなる?